2021年4月25日の日曜日に再訪。
コロナの影響による3回目の緊急事態宣言の初日でしたが人との接近を抑えての訪問です。
多数の鯉のぼりに誘われまして…(笑)
境内にあったブランコと滑り台は撤去されてました。 それが以前に宮司の御好意で設置されてたのか分かりません。5歳児のいる自分にはあったらありがたいなって思いますが。 撤去されたのはきっと老朽化による物と思われます。現在はベンチになってます。
子供に対する間違った行為に対する注意は宮司や奥様にも良く指摘されます。 それが嫌な方々は自分で子供にしっかり注意しましょう。
他の方の口コミより、人の手により管理された神聖な神社の境内にてシャボン玉や縄跳びをさせる常識はずれな親もどうかと?(苦笑) 子供を公に遊ばせるなら公園に行くべきだと思います。此処らなら近辺にいくらでも公園あります。
昔ならって言いますが神社に今昔ありません。 今昔、神聖な場所。それを昔に境内にて間違った遊びをされてても宮司が仕方ないなと黙認されてたのでしょう。 後世の子供達に間違った行為を教えない事を祈るばかりです。 ちなみに隣りのお寺とは同じ場所の様で違う場所です。 例年催してるツツジ...
Read more鳥居が向いている方向に川越街道の三番目の宿場町・白子宿があったんです。ここの本殿の裏に池があるんですが、和光の歴史を記した本には「明治時代に国内初の養漁場が作られた」とあり、その池がその名残りかな?一応、秩父の伏流水が湧いているそうですが、神社の裏というのがなんとも言えませんね。本殿横にその池の水が滝のようになって流れており、お隣の不動院の滝修行に使われているそうですけど、最初に池の方を見たら考えちゃいますね。神社の参拝の仕方が書かれてますけど、「二礼二拍手一礼」というのは伊勢神宮の参拝方法です。伊勢神宮は国家を守る神社であって個人的な祈願ができないので、その方法で間に合うんでしょうが、普通の神社向きではないと思います。戦前まで神社は国に保護されてましたが、戦後にGHQ...
Read more今から1300年ほど前の7世紀頃には百済、新羅、高句麗の人々がたくさん日本に来ていました。その当時、新羅から武蔵、駿河の国等に来ていた人々は、白村江の戦いから24年後の687年から現在の埼玉県の一部に集められ始め、758年には武蔵の国に新羅郡(シラギグン)が置かれるようになりました。 その後、新羅郡は時代が下るにつれて新座郡(ニイクラグン)に変わって行きますが、新羅の名前は志木が志楽木(シラギ→シラキ→シキ)、新座(シンクラ→ニイクラ→ニイザ)、新倉(シンクラ→ニイクラ)へと文字も読みも変わって行きます。新羅はシラとも読まれ白子は新羅の子、つまり新羅の人という意味かも知れません。 山形県には古くから米沢の守り神として、高い格式を持つ白子神社が有りますが、こちらは創建が712年で白村江の戦いから50年後との事です。 また、当時新羅と交戦状態にあった高句麗の人々は716年に現在の日高市高麗(コマ)に集められました。こちらには高句麗の王族も祀られた高麗神社があります。 ※Wi...
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