昔、武州松山が城下町、宿場町から商業の町として発達していた頃、町の南北は下沼~上沼の間に民家が並んでいました。下沼も上沼同様、溜池として貴重な水源でした。この地は南は河越城や八王子街道から鎌倉へ、北は日光東照宮へと続く交通の要衝でもありました。永禄12年(1569年)10月、北条氏政は松山城主上田朝直に対し小田原に援軍を送れと命じました。この時、下沼の近くに与四郎という若者がいて、母と妻の3人で住んでいました。与四郎も小田原に向かい、相州の三増峠で武田信玄軍と闘いましたが負傷してしまいました。与四郎はなんとか戦線を離脱して帰宅すると、家には誰もいませんでした。家の中には2つの真新しい位牌があったので、事情を聴いて回ったところ、三増峠の戦いで与四郎は戦死した、という誤報が伝わってしまっていたのです。年老いた母はひどく嘆いて悲しみのあまり死んでしまいました。その後、妻も夫や義母の後を追い、下沼に身を投げて死んでしまったので、家に新しい位牌が2つあるのだと教えられました。与四郎は自分も戦線を勝手に離脱したことでいずれ死罪になるだろうと思い、一度は逃げようとして上沼までやって来ましたが、そこで逃げる気力を失い、上沼に身を投げて死んでしまいました。以後、下沼のことは「をんな沼」、上沼のことは「おとこ沼」と呼ばれるようになりました。現在、下沼の畔の樹木の中に「をんなはし」の小さな石碑が残っています。都市化により、下沼は近代的な下沼公園に生まれ変わり、多くの市民が集い、憩いの地となっています。昔あった「はし」は今はなく、橋のあった場所...
Read more東松山文化まちづくり公社の企画で池の周りをイルミネーションが飾っています。
2月14日までおこなわれる予定とのことです。
(前回投稿文) 公園内の木々が剪定されたようです。
街中にある憩いの場所で、裏側には東松山郵便局、道路を挟んだ向かい側には東松山市立図書館があります。
(前回投稿文) この時期は紫陽花、春には桜が咲く、整備された綺麗な公園です。
天気の良い日は地域の方々の...
Read more🌸桜咲く季節の到来でしょうか!この公園は、のんびりと過ごせる…身近なスポットですね!人通りは普段は少ない、桜咲く季節には、人通りが…やや多くなる様ですね!可愛らしい観音堂と桜のマッチングが暖かい印象を付ける、桜咲く季節だからこそ味合える感覚でありましょうか…!わたくし、旅色人こと、hikaruでありましょうか…!次回は上沼項公演にスポットを、有ってたいと思いま...
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