1300 year old shrine with temple and gardens and a small playground. Unusual prayer plaques - wooden baseball bats and they sell baseball shaped amulets. They display giant ema with the chinese new year animal motifs at New Years. Free...
Read moreSince the word "Yakyu" corresponds to baseball, many baseball boys and girls, as well as people who enjoy baseball as a hobby, come to visit. Of course, it is also possible to visit as a Shichi-Go-San, and is crowded with visitors...
Read more「箭弓」の「箭」は「矢」で、読みも同じで「やきゅう」と読みます。 創建は和銅年間で、はじめは野久稲荷と呼ばれる小さな祠だったそうですが、「野久」が「箭弓」に通じることから源頼信の崇敬を受けます。頼信は河内源氏の祖で、その血統は鎌倉と足利の将軍家に連なります。平忠常の乱を鎮圧すべく東国に派遣されていた頼信は、戦勝の後に社殿を寄進し、以後、野久稲荷は箭弓稲荷に社号をあらためます。中世の兵乱によって神社は零落して記録も途絶えますが、江戸時代になってからは幕閣に名を連ねる有力大名の支援を得て再興されます。真偽はともかく徳川氏は頼信の子孫を称していたので、頼信所縁の神社を疎かにはできなかったのでしょう。江戸時代に建てられた本殿・幣殿・拝殿はいずれも豪壮かつ精緻で、満足のゆく見ごたえでした。 東武東上線東松山駅からは歩いてすぐの好立地で、境内には東武鉄道社長の根津嘉一郎の寄進による牡丹園があります。東松山には別に東松山ぼたん園もあって、そちらは全国有数の規模とされています(いずれも未見)。鉄道開通後は周辺の開発が進み、かつての広大な境内地も切り売りされましたが、いまなお古社にふさわしい風格をたもっています。「箭弓」が「野球」に通じることから野球関係者の参拝も多く、授与所ではホームベース、あるいはバットの形をした絵馬を頒布していたりもしています。 アクセス至便で社殿の見ごたえも十分、河内源氏が東国に勢力を広げるに至った契機を示す史跡でもあります。全国的な知名度は低くともわざわざ...
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