地名の由来(ゆらい) 昔(むかし)から海や川の水の出入口を「みと」または「みなと」といい、那珂川(なかがわ)と桜川(さくらがわ)・千波湖(せんばこ)の間につき出た台地から「みと」と呼(よ)ばれました。
以上、茨城県の県庁所在地「水戸市」のHPより。
以前より同じ音「みと」なので気になっていました。ここ「弥刀神社」の解説看板にも「一大港湾にのぞむ大きな水戸(みなと)、すなわち海に入り込んだ地帯あるいは河口であったことから大水戸(おおみなと)と呼ばれ、それが「おおみと」と転じ、さらに訛って近江堂と呼称されるようになったのであろう」と有ります。 近江堂は隣接する公園名称になっています。創建は不詳ですが「続日本記」という歴史書によれば西暦762年に旧大和川(現長瀬川)の氾濫により社殿がことごとく流出した記録があるそうです。近隣の弥刀公民分館には古墳時代後期の「弥刀遺跡」が発見されており、その頃より人々の営みが有り、何らかの信仰も有ったと思われます。茨城県水戸市とは約600km、古代日本史のロマンを感じます。
社殿と楠の木が「絵」になる神社です。 御朱印も頂けそうなので、いずれ再...
Read more弥刀神社(みとじんじゃ)。大阪府東大阪市近江堂。
式内社(小)、旧村社。
【祭神】速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)、速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)
速秋津彦神は、日本神話の「神産み」でイザナギとイザナミの間に生まれた神で、妹である速秋津比売神と共に河口や港に鎮座し、罪や穢れを呑み込んで清める役割を持つ「水戸神(みなとのかみ)」です。港の神、海の神として、また『延喜式』の「大祓詞」に記される「祓戸四神」の一柱として信仰されています。
資料によると、 鎮座地は古大和川の自然堤防の微高地にある。 水上の安全を所るために祀られた神であつたと思われる。
天平宝字6年(762)6月、大和川の大洪水で長瀬堤が決潰した際、近江堂の字切所・切下・切の浦などからの激流のために、社殿ことごとく流失したとのことである。
地名は一大港湾にのぞむ大きな水戸(河口)であったことから「大水戸」(おおみと)と呼ばれ、「大水戸」→「おおみと」→「近江堂」と変化した。
江戸中期の儒学者・並河誠所が若江郡近江堂村にあった牛頭天王社を式内・弥刀神社と比定...
Read more延喜式神名帳の河内國若江郡の項に記載のある式内社。
近鉄大阪線の弥刀駅から北へ行ったところに鎮座。
御祭神は速秋津日子神と速秋津比賣神であり、川の河口などに祀られる水戸神(水門神)。 境内の案内板には詳しい由緒が書かれていて、それによると、本地域はかつては等高線5m内外で囲まれた一大港湾に臨む大きな水戸、すなわち海に入り込んだ地帯あるいは、河口であったことから、大水戸(おおみなと)と呼ばれ、それが「おおみと」に転じ、さらに訛って近江堂と呼称されるようになったのだろうと。 また、由緒となるべき建物や器物は天平宝宇6年(762)6月長瀬川(大和川)堤が決壊した際、字切所、切下、切の浦からの激流...
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