☆「佐和山城跡観光案内詰所」に入城パンフレットあり凄く参考に成ります❗️ いざ龍潭寺の大洞観音堂の右手から進入、裏手から直ぐに階段、切通しを過ぎて西の丸跡まで結構キツイ約20分、一息入れて本丸跡へ10分、本丸跡は広い、休憩用のベンチもありユックリ出来ます。遺構と言える物は殆ど有りませんが景色が遺構、彦根城を眼下に、安土や長浜、遠く伊吹山も遠望、中々の景観✨ 南側の隅石垣は見落とし注意、千貫井への道は凄く滑りやすく急なので要注意⚠️
☆要衝の地、故に歴史の荒波に揉まれた波瀾万丈の城郭、西に琵琶湖の内湖・東に東山道(中山道)、232.9m(比高130m)の天嶮、本丸を中心に三方向の尾根に曲輪群を展開する縄張り、想像以上に規模の大きな連郭式山城、『三成に過ぎたる城』興味津々、凄く来たかった城郭🚶
☆1604~1606年に城域の資材石材殆ど彦根城に使用され、本丸周辺は大規模な「破城」で虎口も天守台跡も形状の痕跡不明瞭、何で逆に7ヶ所だけ申し訳なさそうに隅石垣が残ってるか不思議、本丸の南側山腹にある「千貫井」は400年以上前からの遺構、風光明媚に琵琶湖を望む風景は織田信長も石田三成も井伊直政も見た景色、今も同じ様に見られる事に感慨👀
☆激動と明暗 北近江/浅井氏1573年滅亡、近江佐和山城も織田信長掌握、後に安土城総奉行を務めた丹羽長秀が城主に、織田信長が頻繁に逗留、この当時から近代城郭へと造成構築、秀吉政権下では重臣の堀秀政~堀尾吉晴が入城、1591年石田三成が城代として入城し1595年城主に、1598年秀吉死去、1600年「天下分け目」関ヶ原の戦いへ、東軍に寝返った武将を中心に小早川秀秋主力・朽木・小川・脇坂・赤座、目付/井伊直政・田中吉政の兵15,000で取り囲み降伏開城⚔️ 戦後、重要な地に徳川家康は井伊直政を近江佐和山18万石で配置、1602年井伊直政はこの佐和山城で死去😓
現存天守/国宝「彦根城」は徳川四天王/井伊直政を家祖とする井伊家の居城、歴史の狭間に埋もれた「佐和山城」は最期まで己の正義を貫いた石田三成の居城、歴史の足跡深く、更なる発掘調査と...
Read more彦根城は有名ですが、佐和山城は有名な石田三成のお城であるのですが、あまり知られていません。 石田三成は「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり...
Read more彦根城の帰り、石田三成の居城であった佐和山城跡に天気の良い平日6月下旬に車で来ました。(到着時刻1時過ぎでした。)
事前に余り調べなかったので、結構困りました。
行ってみてわかったこと。
①入り口がどこかわかりにくい。
天守閣など建物が無い為、どこから入って行っていいかわからず結果的に役所に聞いて入り口を教えてもらいました。
写真を添付しましたが、龍潭寺の前に車が15台位おける無料駐車場があります。
その駐車場から、佐和山城跡に続く登り口(入り口)やトイレ、山登り(20分は続く山道)の為に使う竹杖などが置いてあります。
私は間違えて佐和山センター(集会場?)とグランドや公園、模型?の佐和山城がある所へ停めました。
ナビやグーグルマップの設定はで龍潭寺でいいと思います。 (佐和山城跡でグーグルマップを設定すると余計にわかりにくい)
詳しくは写真を取って並べたので参考にしてください。
②薄手の長袖、水筒、歩きやすい靴
お寺横のお墓を抜けて行くと、完全な山道です。道中は人が一人通れる程度の道ばかりで足元は良くないです。
履き慣れた歩きやすい靴と、途中で立ち止まって水分補給出来るものを用意した方が無難です。
虫も結構飛んでいますので、気をつけて下さい。虫除けを持って行けば更にいいと思います。
また、膝や腰に持病、調子の悪い方はおすすめ出来ません。登山ほどではありませんが、登り下りとも厳しいと感じました。
③頂上は見晴らしが良くてきれいです。
細かい所は見て回らなかったので、わかりませんが城跡なので見るものが、当然ですが余り無いです。
ただ、天守閣があったであろう頂上から辺りを見回すと、田んぼや琵琶湖等が見えて三成もとても気分が良かっただろうなと思いました。
石田三成が好きな方は是非とも登った方が...
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