[柳之御所遺跡]
平泉町にある平安時代末期の遺跡
史跡
「吾妻鏡」に記されている、奥州藤原氏の政庁・平泉館跡と推定される。 柳之御所は奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館(奥州市)から磐井郡平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされる。 中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営された。 1189年、源頼朝の28万余の大軍に攻められた際に藤原泰衡が自ら火を放ち炎上した。 柳之御所の名前は伽羅御所の名前に対比して後世に名づけられた。 「吾妻鏡」には無量光院の北に館を構え平泉館と称したと記しており、柳之御所の名は無いがJR平泉駅の北500メートルのところに柳之御所の字があるので、現在はこの字名をとって柳之御所と呼んでいる。 高館の南東、北上川西岸と猫間が淵に挟まれた標高約25メートルに立地し、発掘調査の結果112000平方メートルある一帯からは多くの掘立柱建物跡や巨大な堀、橋、道、園池、屋敷群跡、10トン以上のかわらけ、中国産陶磁器、常滑産や渥美産の陶器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒などが出土している。 これらの出土品は国の重要文化財「岩手県平泉遺跡群出土品」に指定されている。 現在は遺跡面積約10ヘクタールのうち約5ヘクタールが柳之御所史跡公園として整備され、池、堀、道路などが復元されている。 今後は建物も復元整備される予定である。
少し高台にある遺跡。 復元が進んでいるようで今後が楽しみ。
おすすめ度:★☆☆☆☆...
Read more2011年に「平泉」として、中尊寺や毛越寺などとともに世界遺産に登録された『柳之御所遺跡』です。
柳之御所遺跡で目立った遺構といえば、発掘成果により再現された堀や土塁程度で、園池は現在水は入っておらず、建物等も残っていません。物足りなさを感じてしまいそうになりますが、お隣のガイダンスセンターの展示を参考にイマジネーションを発揮することができれば、とても興味深い場所です。
岩手県平泉町にある、奥州藤原氏の拠点跡と考えられている大規模な遺跡で、平泉の中心部、北上川に面した台地に位置し、奥州藤原氏の2代目・基衡から4代目・泰衡が政務を執り行った「平泉館」であった可能性が高いとされています。 この遺跡は、1988年からの発掘調査によって注目され、周囲を土塁と堀で囲まれた広大な敷地から、多数の建物跡や庭園跡、道路、門跡などが発見されました。特に、中央の広場を囲むように配置された大型の建物群や、池を中心とした庭園の遺構は、当時の平泉が政治・文化の中心地であったことを物語っています。
発掘された遺物には、高級な陶磁器や漆器、瓦、木製品などがあり、この場所が単なる居住地ではなく、藤原氏の権力を象徴する施設であ...
Read moreEducational. For someone who loves history, this place is really very interesting that gave me goosebumps when I read the signs and imagined what it...
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