青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、熊本県人吉市上青井町に鎮座し旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。地元では親しみを込めて「青井さん」と称されている。 創建は大同元年(806年)と伝えられる。阿蘇神社に祀られる十二神のうち、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱。阿蘇神社の御分霊をお祀りした神社は、全国に523社が鎮座し、内訳としては熊本県に461社、大分県に32社、福岡県に7社、宮崎県に5社、長崎県に4社と九州に509社が鎮座し、青森県を北限とし本州に14社が確認されている。大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主、尾方権助大神惟基が神託により阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地祀ったのに始まると伝える。その後天喜年中(11世紀中半)に再興され、建久9年(1198年)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進する等相良家歴代の篤い崇敬を受け、延徳3年(1491年)の為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。なお、阿蘇神社の分霊社ではあるが、同神社の大宮司家(阿蘇氏)が南北朝の内乱期や戦国時代に相良氏と対立することが多かったためか阿蘇神社との関係は薄く、当神社は独自の宗教的展開を図っていたものと考えられる。 明治5年(1872年)8月に郷社に列し、昭和10年(1935年)11月県社に昇格した。 現存の本殿、廊、幣殿、拝殿の中心的社殿と楼門の計5棟は、人吉藩初代藩主相良長毎とその重臣相良清兵衛の発起により、慶長15年(1610年)から同18年にかけて造営されたものである。 本殿は三間社流造銅板葺。側面と背面の桟を×型とする点や長押上の小壁に格狭間(ごうざま)を設ける点などに球磨地方の社寺建築の特徴が見られる。廊は本殿と幣殿を連絡する社殿で、梁間1間、桁行1間切妻造銅板葺。左右両柱の持ち送りに龍の彫刻を施すが、これは南九州の近世社寺建築に影響を与えたとされる。幣殿は梁間3間、桁行5間の寄棟造妻入茅葺で前面は拝殿に接続する。内部外部ともに華麗な装飾が見られるが、内部小壁の装飾彫刻の図様が柱間内で完結せずに柱を超えてつながる点や餝金具の技法に特徴があり、これは当時の最先端技法をいち早く取り入れたものという。以上3棟は慶長15年の竣工。拝殿は慶長16年の竣工で、桁行7間、梁間3間、寄棟造平入茅葺。前面に1間の唐破風造銅板葺の向拝(こうはい)を付ける。梁間3間のうち手前1間通りを吹き放しとし、その奥は拝殿、神楽殿、神供所(じんくしょ)の3つに仕切られ、当地方独特の舞台装飾が施された神楽殿では、10月8日の夕刻に球磨神楽が演じられる。 慶長18年に竣工した楼門は禅宗様に桃山様式を取り入れた寄棟造茅葺の三間一戸八脚門。組物は初層を二手先、上層を三手先とし、柱間は地覆と貫で固め、柱上には初層・上層ともに台輪を渡す。上層四隅の隅木下に陰陽一対の鬼面を嵌め込む点が珍しく、これは当地方独自の「人吉様式」と呼ばれる。 以上の5棟は、軒から下を黒漆塗としつつも組物や角材の面取り部分に赤漆を併用する技法や、急勾配な茅葺屋根、壁面の格狭間や木鼻(きばな)等に見られる細部の意匠に中世以来の人吉球磨地方独自の意匠を継承する一方で、鍍金を施した餝金具等の繊細、優美な植物文様といった桃山時代の華麗な装飾性も取り入れたものとなっている。昭和8年(1933年)1月23日に国宝保存法に基づき当時の国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、同25年には文化財保護法施行に伴い重要文化財となった。同34年の解体修理で梁木から発見された棟札と銘札5枚は昭和55年に重要文化財の附(つけたり)として追加指定されている同時期に一連の建造物として統一的意匠を持って造営されたものである点や、地方的様式を継承しつつ桃山様式も採り容れて当地における社寺建築の手本となっている点、南九州地方における近世神社建築へ影響を与えた点が認められ平成20年(2008年)6月9日付で国宝に指定された。これは茅葺の社寺建造物としては初の国宝指定であり、また建造物はもとより熊本県に現存する文化財としても初めての国宝指定となった。球磨川の氾濫域にあり、しばしば浸水被害に見舞われてきた。昭和40年(1965年)の球磨川大水害では近隣の住宅地で2.1m、昭和46年(1971年)の水害で1.1mの浸水高を記録。さらに令和2年豪雨災害(2020年)には4.3mの浸水高を記録し国宝の拝殿が床上浸水、国登録文化財の禊橋は濁流で欄干が損壊するなどの被害が出た。 境内は以外と狭く、こじんまりとした印象。南国の神社らしく明るく穏やかな空気感が漂う。 目の前には球磨川の清冽な流れの川面がある。赤い欄干の太鼓橋のモニュメントが黒基調の建造物に映える。駐車場は小道を挟んで境内の横にあり、約30台程...
Read moreVisited on a scorching summer weekend — the heat was intense. There were a few tourists around, most came to pray quickly and left right after. I didn’t stay long either, just enough time to take some photos.
The shrine has a beautiful traditional structure, with a unique thatched roof (like woven hay — not something you see every day!) and a striking red torii gate at the entrance. It feels historic and sacred, even in the heat.
Would love to come back when it’s cooler to take my...
Read more【日本最南端の国宝建築物 青井阿蘇神社】 2008年熊本県で初の国宝指定された神社です。 【開拓の守護神を祀る青井阿蘇神社の歴史】
相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。 阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、安住の地を整えていったのではないかと思われます。
【開拓の祖を祀る阿蘇神社】
阿蘇神社の御分霊をお祀りした神社は、全国に523社が鎮座し、内訳としては熊本県に461社、大分県に32社、福岡県に7社、宮崎県に5社、長崎県に4社と九州に509社が鎮座し、青森県を北限とし本州に14社が確認されていることから、古来より開拓の神として厚い信仰が寄せられてきたことが伺えます。
【四神(霊獣)に護られた選ばれた土地】
「南方の池は神様の姿を写すであろう、 北方は人々の騒がしい生活を阻むであろう、 東方の高く聳える城郭は猛族の進入を阻むであろう、 西方にひろがる林は暴風や火災を防ぐであろうからこの場所は神を祀るに最もふさわしい場所なのである。」 と、古い棟札に記されています。また別の見地から、風水思想の「四神相応(ししんそうおう)の地」として考えることができます。
四神とは、青龍(せいろう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)という霊獣で、この四神に護られた池こそ富に恵まれ子々孫々まで繁栄する「未来永劫の吉祥の地」であるという考え方です。
東方を守護する青龍は川に棲み、南方を守護する朱雀は池に棲み、西方を守護する白虎は道に棲み、北方を守護する玄武は山に棲むとされていますので東に川、南に池、西に道、北に山で囲まれた地こそが四神に護られた地、すなわち四神相応の地なのです。
平安京の都は東に鴨川、南に巨椋池、西に大路、北に北山と四神相応の地につくられました。それから間もない12年後の大同元年に、東に球磨川・山田川、南に蓮池、西に大路、北に村山と平安京にも似た地形の場所に神社が創建されたのです。
1200年前に都と人吉球磨の考え方に差が無かったとうのは驚きです。
【2020年7月の球磨川氾濫による水害被害】
2020年の球磨川氾濫による水害により青井阿蘇神社も甚大な被害を被りました。 神社南側にある禊橋は欄干が無惨にも破壊されています。 床上浸水により重要な書物なども水浸しとなった様です。 2021年4月現在もまだ禊橋は...
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