原木山妙行寺は、円増院日進上人が日蓮宗布教のため、天文七年(一五三八)七月この地に開創した寺院です。 当時、原木村は戸数四十余戸という小村だったので、日進上人はたちまち村民すべてを信徒にし、さらに周辺諸村に教化を広め、妙行寺の基礎を確立していきました。 本寺の宝物の一つに、日法上人作『日蓮大菩薩板御影』があります。 これは宝暦十二年(一七六二) 十二月、中山法華経寺の頭塔安世院が火災のとき、原木村の平田武右衛門によって火中から取り出され、妙行寺に奉納されたものと伝えています。 以来だれ言うとなく『火中出現防火日蓮大師の像」として知られるようになりました。 寛政三年(一七九一)八月、江戸の深川から行徳、船橋にかけて襲来した大津波は、特に原木村に大きな被害をもたらしました。 妙行寺の堂字は流失し、二十五世日光上人は津波のため溺死する有様でした。 村民の被害について伊能忠敬の測量日記には『此村先年津波にて、家流崩数合当数五十八軒、溺死村方百十三人、外より入込人四十人』とあり被害の大きさを物語っています。 日光上人のあとを嗣いだ日運上人は、直ちに諸堂の再建に着手し、寛政七年(一七九五)十月には、柴又の経栄山題経寺(柴又の帝釈さまで有名)住職日敬上人の発願で、溺死した村民のため供養塔が建てら れました。 明治維新の排仏毀釈では寺運は全く衰退し、見る影もなくなりましたが、原木村出身の日淳上人が三十六世を嗣ぐと、...
Read more駐車スペースが10台分くらい。山門わきから車で入ることができる。 広い境内に、本堂、御影堂、荒行堂あり。春には見事に枝垂れ桜が咲くという。
明治期の古地図では、この一帯は行徳から続く「塩浜」(塩田ですね)である。集落名が詳細に記されている天保13(1842)年作成の『富士見十三州輿地全図』を見ると、「原木」は海浜から一歩内陸に入っているようだが、それでも寛政3(1791)年に発生した大津波では、村落とともに、ほとんどの堂宇が流出し、当時の住職第二十五世日光上人まで溺死する大被害を受けているという(江戸深川から船橋までダメージはあったわけだが)。 現在は埋め立てにより海岸線はさらに南に向かって遠くなったものの、地盤はあまりよくないようで、東日本大震災のときには本堂東側の鬼瓦が落ちるな...
Read more真間川という川沿い、かつての行徳街道沿いにある日蓮宗のお寺。 全く無名の寺ながらも、地元では枝垂れ桜の名所として有名なんです。
その枝垂れ桜がこれ。 伸び伸びとした枝っぷり、勢いがあっていいものです。
枝垂れ感がわかりやすい枝。 花のボリューム感があって、下に潜り込むと春の香りに包まれるんです。
周囲には、のんびり花を眺める人と…墓石。 そう、お墓の中にあるので、酒を飲んで眺めるのは不謹慎な空気感。
これもまた、この枝垂れ桜のいいところでしょう。
このお寺のもう一つの見どころは山門の彫刻。 明治に入っての作のようですけど、小さな寺にこんな立派な山門があるなんて、かな...
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