大山祇神社です
式内社 伊豫國越智郡 大山積神社 名神大 伊豫國一宮 旧國幣大社
御祭神 大山積神
境内社 伊豫國総社
僕は広島県から瀬戸内海、愛媛県大三島にある。西瀬戸自動車道、大三島ICから西に5Kmくらい。大三島の島西部の最奥へ。宮浦、神体山・鷲ヶ頭山(437m)の麓に鎮座です。
神社周囲には海鮮丼屋やお食事処、お土産物屋などがあります、道路脇に駐車場🅿が有ります 駐車場🅿鳥居の横にあまり広くない10台ほど他にもあります バス駐車場は奥にあるみたい トイレ🚻○身障者○ 車椅子♿補助者△ 大山祇神社は完全なバリアフリーではありません、小さな段差をクリアしスロープを利用すれば、車いすで参拝できます。公道との接続部や鳥居下に低い段差があります、後ろ向き操作で平坦な硬い土面になりますよ。
御祭神 大山積大神
大三島記文に、仁徳天皇の御宇(ギョウウ 仁徳天皇が治めていた期間)に、 乎知命(オチノミコト)が 祖神・大山祇命を祀ったとあります。
『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。 養老3年(719)に 遷宮の儀が執り行われた。
各地の三島神社の総本山で、日本総鎮守とも呼ばれる神社。大三島は古くは御島と書かれ、後に三島となり、大三島となった。また、三島神を奉祭するが故に、大三島となった諸説ありそう です 伊豫國風土記逸文には、以下のように記されています。 「御嶋。坐す神の御名は大山積の神。一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津の國の御嶋の名なり。」風土記では、仁徳天皇の御宇に大阪高槻市三島江に出現し、そこから、伊予へ移ったとされている。また、山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されている。
上記の説明簡単に
三島に現れた神はおおやまつみ またの名はわたつみのかみ 仁徳天皇が大阪の在任期間に治めていたとき大山祇が現れた。 この方は、韓国百済から渡ってきて 今は三島にいらっしゃっる。 です。
韓国から来た方ですね 昔は国境がないので船で自由に行き来してます。韓国人という概念はなく海洋民族です。 韓国から日本へまずたどり着く場所は 長崎県壱岐対馬です。ここには国幣社や官幣大社がたくさんあります 壱岐対馬と九州北部から内陸部(熊本県)にかけてワタツミ神社がありますもちろん大山祇神社もあります。 大山祇はこの方の最後の呼び名であるので大山祇神社を探索しても この方の晩年期の歴史しか残されていないので。もう一つの呼び名ワタツミを探索します。 この綿津見、当て字はたくさんあります海神とかいろいろありますが綿津見で通します。 この綿津見を調べていくと九州背振山の山奥にある小さな神社の由緒書きに壱岐の綿津見神社と海人族を示すことが書かれています。そして壱岐に渡り、綿津見神社を調べていくと
大山祇神の素性がバレます☺
古代九州にはいろんな民族がわんさかいました言葉も顔も髪の色も目の色も食文化も違います。よって当然喧嘩も絶えませんこれを倭国大乱と言います
まず大山祇の末裔の乎知命(オチノミコト)おち、オチ、榲、鉞といろんな当て字がありますが日本発音ではオチ 日本語は越智ですね これを日本国内には調査書物がないのでお隣韓国を調べていくと金越智(キムオチ)という人に行き当たります。 この金越智が越智族の祖先神になります。韓国現地発音は古遅(コチ) かなり中略して ウマシアシカビヒコチとなります。
ウマシアシカビヒコチの先祖は 韓国ドラマに鉄の王キムスロというのがあります。このキムスロが先祖です 福岡県にキムスロゆかりの山があり土地名もいじられてありますが現存してます。 この海洋民族は日本と大陸を行ったり来たりと朝鮮、中国と交流があっていたという証拠ですね。 伊予国造乎知命が、この神を祀り、その子孫の越智玉純が養老三年(七一九)現在の地に社殿を建立したといいます。 大山祇 この方の素性を壱岐に残る明治前の100年以上前の神社帳にこう書かれています。 「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王、卑弥弓呼(ヒミミコかヒミココ)と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く」 現代語訳:...
Read more追記(2021年12月、22年1月)。 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』ことの意味。
山の神が海の神ともされることについて以前、理屈っぽく『陰陽五行思想の五行相剋に拠る』と書きましたが、 それ以外にも、もっと自然(じねん)的な、海洋民のヤマ信仰と強く結び付いているのではないかとも、考えるようになりました。
海に出ることを生業とする者にとって、ヤマ(山、㠀=島・嶋・嶌、巨岩、岬、沿岸の特徴的な地形や建物等、海から見える目印の総称)は、海上での現在地を特定し、航路や漁場を導き出す重要な手掛かりです。 (ヤマの概念は、建築家・都市環境空間デザイナーの上田篤の著作『日本の都市は海から作られた 海辺聖標の考察』中公新書、1996に詳しい)
『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』と歌う曲(注)がありますが、より正確には『水平線上のヤマヤマが見えなければ 今いる場所が分からない』ということです。
また、ヤマは海上からの見え方によって、気象の変化を予測する指標にもなります。 例えば『遠くのあのヤマが霞んで見えていたら、午後の天気が荒れる』など。
海に出る人々は、ヤマヤマを頼りに暮らしているのですから、ヤマに神や霊力を感じ、感謝したり畏怖したり、守り神として祀ることは自然なことでしょう。
(注)STU48の楽曲『暗闇』。 この曲のMVでは、宮浦港周辺や台(うてな)海浜もロケ地となっていて、 阿奈波神社ファン、大山祇神社ファン、大三島ファンは一見の価値ありです。 大山祇神社...
Read more2025年6月13日(金)の14時頃に再訪しました!今回もしまなみ海道などを経て車で伺いました。この時は工事中で使用不可でしたが、神社の鳥居前に専用の駐車場があるので、参拝者は無料(利用時間:8:00-17:30)で停めることができます。しまなみ海道ができる以前の神社への参拝は船でのルートしかなく、参拝者は港にある〝一の鳥居〟(写真あり)をくぐり神社まで続く参道を歩いて参拝していました。今では船で訪れる人は殆どいないと思いますが、正式な参拝ルートはこちらからのようです。今回は参拝とともに、前回伺った際に寄ることの出来なかった宝物館、海事博物館なども訪れる事ができました!(※境内からの行き方など写真あり)宝物館は境内の授与所の裏手にあり、授与所脇に宝物館への入り口があります。(神社脇の道から境内を通らずに直接宝物館へ向かう事もできます。)境内の入り口からは、右手へ行ったところに階段があり、その階段を上がった所に宝物館・海事博物館の入り口ゲートがあります。チケット売り場で2館共通のチケット(¥1,000)を購入し、入り口でチケットを見せて入ります。全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこちらに納められていることもあり、歴史の重みが感じられ、とても見応えがありました。撮影不可なので掲載できる写真はありませんが、参拝される際には(歴史がお好きな方には特に)必見です‼︎...
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