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Ōyamazumi Shrine — Attraction in Imabari

Name
Ōyamazumi Shrine
Description
Nearby attractions
Ancient Camphor Trees at Oyamazumi Shrine
3327 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Oyamazumi Shrine Treasure Hall
3327 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Omishima Maritime Museum
3327 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Ōmishimafuji Park
Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Omishima Museum of Art
9099-1 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Tsuruhime Park
Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
大三島みんなのワイナリー
5562 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Nearby restaurants
Setouchi Chaya Omishima
5119-2 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
DAISHIN
3324-8 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Boar Bone Ramen
5516 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Kifune
9119-9 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
焼肉 千草
5515 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Seafood Restaurant Yoshikawa
5714-15 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
nicory okashiya(二コリー)
5686 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Nearby hotels
Chaume Ryokan
5467 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
Sawaki Ryokan
5460 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
島の隠れ家 みやうら御殿MIYAURA-GOTEN
3095 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
民宿紺玉
5388 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1304, Japan
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Keywords
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Ōyamazumi Shrine things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Ōyamazumi Shrine
JapanEhime PrefectureImabariŌyamazumi Shrine

Basic Info

Ōyamazumi Shrine

3327 Omishimacho Miyaura, Imabari, Ehime 794-1393, Japan
4.4(2.1K)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Outdoor
Family friendly
Accessibility
attractions: Ancient Camphor Trees at Oyamazumi Shrine, Oyamazumi Shrine Treasure Hall, Omishima Maritime Museum, Ōmishimafuji Park, Omishima Museum of Art, Tsuruhime Park, 大三島みんなのワイナリー, restaurants: Setouchi Chaya Omishima, DAISHIN, Boar Bone Ramen, Kifune, 焼肉 千草, Seafood Restaurant Yoshikawa, nicory okashiya(二コリー)
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Reviews

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Oyamazumi Shrine Treasure Hall

Omishima Maritime Museum

Ōmishimafuji Park

Omishima Museum of Art

Tsuruhime Park

大三島みんなのワイナリー

Ancient Camphor Trees at Oyamazumi Shrine

Ancient Camphor Trees at Oyamazumi Shrine

4.5

(31)

Open until 12:00 AM
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Oyamazumi Shrine Treasure Hall

Oyamazumi Shrine Treasure Hall

4.4

(124)

Open 24 hours
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Omishima Maritime Museum

Omishima Maritime Museum

3.9

(23)

Open until 3:30 PM
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Ōmishimafuji Park

Ōmishimafuji Park

4.4

(114)

Open 24 hours
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Things to do nearby

Enjoy sutra copying and shojin-ryori at Chozenji Temple!Japanese Culture Experience
Enjoy sutra copying and shojin-ryori at Chozenji Temple!Japanese Culture Experience
Tue, Dec 9 • 10:00 AM
725-0004, Hiroshima, Takehara, Japan
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Nearby restaurants of Ōyamazumi Shrine

Setouchi Chaya Omishima

DAISHIN

Boar Bone Ramen

Kifune

焼肉 千草

Seafood Restaurant Yoshikawa

nicory okashiya(二コリー)

Setouchi Chaya Omishima

Setouchi Chaya Omishima

3.2

(213)

$$

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DAISHIN

DAISHIN

4.3

(41)

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Boar Bone Ramen

Boar Bone Ramen

4.1

(133)

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Kifune

Kifune

3.9

(222)

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Reviews of Ōyamazumi Shrine

4.4
(2,122)
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5.0
33w

大山祇神社です

式内社 伊豫國越智郡 大山積神社 名神大 伊豫國一宮 旧國幣大社

御祭神 大山積神

境内社 伊豫國総社

僕は広島県から瀬戸内海、愛媛県大三島にある。西瀬戸自動車道、大三島ICから西に5Kmくらい。大三島の島西部の最奥へ。宮浦、神体山・鷲ヶ頭山(437m)の麓に鎮座です。

神社周囲には海鮮丼屋やお食事処、お土産物屋などがあります、道路脇に駐車場🅿が有ります 駐車場🅿鳥居の横にあまり広くない10台ほど他にもあります バス駐車場は奥にあるみたい トイレ🚻○身障者○ 車椅子♿補助者△ 大山祇神社は完全なバリアフリーではありません、小さな段差をクリアしスロープを利用すれば、車いすで参拝できます。公道との接続部や鳥居下に低い段差があります、後ろ向き操作で平坦な硬い土面になりますよ。

御祭神 大山積大神

大三島記文に、仁徳天皇の御宇(ギョウウ 仁徳天皇が治めていた期間)に、 乎知命(オチノミコト)が 祖神・大山祇命を祀ったとあります。

『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。 養老3年(719)に 遷宮の儀が執り行われた。

各地の三島神社の総本山で、日本総鎮守とも呼ばれる神社。大三島は古くは御島と書かれ、後に三島となり、大三島となった。また、三島神を奉祭するが故に、大三島となった諸説ありそう です 伊豫國風土記逸文には、以下のように記されています。 「御嶋。坐す神の御名は大山積の神。一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津の國の御嶋の名なり。」風土記では、仁徳天皇の御宇に大阪高槻市三島江に出現し、そこから、伊予へ移ったとされている。また、山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されている。

上記の説明簡単に

三島に現れた神はおおやまつみ またの名はわたつみのかみ 仁徳天皇が大阪の在任期間に治めていたとき大山祇が現れた。 この方は、韓国百済から渡ってきて 今は三島にいらっしゃっる。 です。

韓国から来た方ですね 昔は国境がないので船で自由に行き来してます。韓国人という概念はなく海洋民族です。 韓国から日本へまずたどり着く場所は 長崎県壱岐対馬です。ここには国幣社や官幣大社がたくさんあります 壱岐対馬と九州北部から内陸部(熊本県)にかけてワタツミ神社がありますもちろん大山祇神社もあります。 大山祇はこの方の最後の呼び名であるので大山祇神社を探索しても この方の晩年期の歴史しか残されていないので。もう一つの呼び名ワタツミを探索します。 この綿津見、当て字はたくさんあります海神とかいろいろありますが綿津見で通します。 この綿津見を調べていくと九州背振山の山奥にある小さな神社の由緒書きに壱岐の綿津見神社と海人族を示すことが書かれています。そして壱岐に渡り、綿津見神社を調べていくと

大山祇神の素性がバレます☺

古代九州にはいろんな民族がわんさかいました言葉も顔も髪の色も目の色も食文化も違います。よって当然喧嘩も絶えませんこれを倭国大乱と言います

まず大山祇の末裔の乎知命(オチノミコト)おち、オチ、榲、鉞といろんな当て字がありますが日本発音ではオチ 日本語は越智ですね これを日本国内には調査書物がないのでお隣韓国を調べていくと金越智(キムオチ)という人に行き当たります。 この金越智が越智族の祖先神になります。韓国現地発音は古遅(コチ) かなり中略して ウマシアシカビヒコチとなります。

ウマシアシカビヒコチの先祖は 韓国ドラマに鉄の王キムスロというのがあります。このキムスロが先祖です 福岡県にキムスロゆかりの山があり土地名もいじられてありますが現存してます。 この海洋民族は日本と大陸を行ったり来たりと朝鮮、中国と交流があっていたという証拠ですね。 伊予国造乎知命が、この神を祀り、その子孫の越智玉純が養老三年(七一九)現在の地に社殿を建立したといいます。 大山祇 この方の素性を壱岐に残る明治前の100年以上前の神社帳にこう書かれています。 「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王、卑弥弓呼(ヒミミコかヒミココ)と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く」 現代語訳:...

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4.0
7y

追記(2021年12月、22年1月)。 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』ことの意味。

山の神が海の神ともされることについて以前、理屈っぽく『陰陽五行思想の五行相剋に拠る』と書きましたが、 それ以外にも、もっと自然(じねん)的な、海洋民のヤマ信仰と強く結び付いているのではないかとも、考えるようになりました。

海に出ることを生業とする者にとって、ヤマ(山、㠀=島・嶋・嶌、巨岩、岬、沿岸の特徴的な地形や建物等、海から見える目印の総称)は、海上での現在地を特定し、航路や漁場を導き出す重要な手掛かりです。 (ヤマの概念は、建築家・都市環境空間デザイナーの上田篤の著作『日本の都市は海から作られた 海辺聖標の考察』中公新書、1996に詳しい)

『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』と歌う曲(注)がありますが、より正確には『水平線上のヤマヤマが見えなければ 今いる場所が分からない』ということです。

また、ヤマは海上からの見え方によって、気象の変化を予測する指標にもなります。 例えば『遠くのあのヤマが霞んで見えていたら、午後の天気が荒れる』など。

海に出る人々は、ヤマヤマを頼りに暮らしているのですから、ヤマに神や霊力を感じ、感謝したり畏怖したり、守り神として祀ることは自然なことでしょう。

(注)STU48の楽曲『暗闇』。 この曲のMVでは、宮浦港周辺や台(うてな)海浜もロケ地となっていて、 阿奈波神社ファン、大山祇神社ファン、大三島ファンは一見の価値ありです。 大山祇神社...

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5.0
2y

2025年6月13日(金)の14時頃に再訪しました!今回もしまなみ海道などを経て車で伺いました。この時は工事中で使用不可でしたが、神社の鳥居前に専用の駐車場があるので、参拝者は無料(利用時間:8:00-17:30)で停めることができます。しまなみ海道ができる以前の神社への参拝は船でのルートしかなく、参拝者は港にある〝一の鳥居〟(写真あり)をくぐり神社まで続く参道を歩いて参拝していました。今では船で訪れる人は殆どいないと思いますが、正式な参拝ルートはこちらからのようです。今回は参拝とともに、前回伺った際に寄ることの出来なかった宝物館、海事博物館なども訪れる事ができました!(※境内からの行き方など写真あり)宝物館は境内の授与所の裏手にあり、授与所脇に宝物館への入り口があります。(神社脇の道から境内を通らずに直接宝物館へ向かう事もできます。)境内の入り口からは、右手へ行ったところに階段があり、その階段を上がった所に宝物館・海事博物館の入り口ゲートがあります。チケット売り場で2館共通のチケット(¥1,000)を購入し、入り口でチケットを見せて入ります。全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこちらに納められていることもあり、歴史の重みが感じられ、とても見応えがありました。撮影不可なので掲載できる写真はありませんが、参拝される際には(歴史がお好きな方には特に)必見です‼︎...

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猫神様の眷属だいふく猫神様の眷属だいふく
大山祇神社です 式内社 伊豫國越智郡 大山積神社 名神大 伊豫國一宮 旧國幣大社 御祭神 大山積神 境内社 伊豫國総社 僕は広島県から瀬戸内海、愛媛県大三島にある。西瀬戸自動車道、大三島ICから西に5Kmくらい。大三島の島西部の最奥へ。宮浦、神体山・鷲ヶ頭山(437m)の麓に鎮座です。 神社周囲には海鮮丼屋やお食事処、お土産物屋などがあります、道路脇に駐車場🅿が有ります 駐車場🅿鳥居の横にあまり広くない10台ほど他にもあります バス駐車場は奥にあるみたい トイレ🚻○身障者○ 車椅子♿補助者△ 大山祇神社は完全なバリアフリーではありません、小さな段差をクリアしスロープを利用すれば、車いすで参拝できます。公道との接続部や鳥居下に低い段差があります、後ろ向き操作で平坦な硬い土面になりますよ。 御祭神 大山積大神 大三島記文に、仁徳天皇の御宇(ギョウウ 仁徳天皇が治めていた期間)に、 乎知命(オチノミコト)が 祖神・大山祇命を祀ったとあります。 『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。 養老3年(719)に 遷宮の儀が執り行われた。 各地の三島神社の総本山で、日本総鎮守とも呼ばれる神社。大三島は古くは御島と書かれ、後に三島となり、大三島となった。また、三島神を奉祭するが故に、大三島となった諸説ありそう です 伊豫國風土記逸文には、以下のように記されています。 「御嶋。坐す神の御名は大山積の神。一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津の國の御嶋の名なり。」風土記では、仁徳天皇の御宇に大阪高槻市三島江に出現し、そこから、伊予へ移ったとされている。また、山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されている。 上記の説明簡単に 三島に現れた神はおおやまつみ またの名はわたつみのかみ 仁徳天皇が大阪の在任期間に治めていたとき大山祇が現れた。 この方は、韓国百済から渡ってきて 今は三島にいらっしゃっる。 です。 韓国から来た方ですね 昔は国境がないので船で自由に行き来してます。韓国人という概念はなく海洋民族です。 韓国から日本へまずたどり着く場所は 長崎県壱岐対馬です。ここには国幣社や官幣大社がたくさんあります 壱岐対馬と九州北部から内陸部(熊本県)にかけてワタツミ神社がありますもちろん大山祇神社もあります。 大山祇はこの方の最後の呼び名であるので大山祇神社を探索しても この方の晩年期の歴史しか残されていないので。もう一つの呼び名ワタツミを探索します。 この綿津見、当て字はたくさんあります海神とかいろいろありますが綿津見で通します。 この綿津見を調べていくと九州背振山の山奥にある小さな神社の由緒書きに壱岐の綿津見神社と海人族を示すことが書かれています。そして壱岐に渡り、綿津見神社を調べていくと 大山祇神の素性がバレます☺ 古代九州にはいろんな民族がわんさかいました言葉も顔も髪の色も目の色も食文化も違います。よって当然喧嘩も絶えませんこれを倭国大乱と言います まず大山祇の末裔の乎知命(オチノミコト)おち、オチ、榲、鉞といろんな当て字がありますが日本発音ではオチ 日本語は越智ですね これを日本国内には調査書物がないのでお隣韓国を調べていくと金越智(キムオチ)という人に行き当たります。 この金越智が越智族の祖先神になります。韓国現地発音は古遅(コチ) かなり中略して ウマシアシカビヒコチとなります。 ウマシアシカビヒコチの先祖は 韓国ドラマに鉄の王キムスロというのがあります。このキムスロが先祖です 福岡県にキムスロゆかりの山があり土地名もいじられてありますが現存してます。 この海洋民族は日本と大陸を行ったり来たりと朝鮮、中国と交流があっていたという証拠ですね。 伊予国造乎知命が、この神を祀り、その子孫の越智玉純が養老三年(七一九)現在の地に社殿を建立したといいます。 大山祇 この方の素性を壱岐に残る明治前の100年以上前の神社帳にこう書かれています。 「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王、卑弥弓呼(ヒミミコかヒミココ)と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く」 現代語訳: 卑弥呼は、狗奴国の男王の卑弥弓呼と以前から不仲で、倭の使者を派遣して郡に赴き、互いに攻撃し合っている状況を魏に報告させた。 大山祇は卑弥呼と戦争します 九州の佐賀県から福岡県南部 大山祇のこどもの大国主 大国主の代でもスサノオと戦争します。兵庫県南部瀬戸内際 喧嘩が絶えない民族なのもので この一族は随分あとになって親子に渡り責任を負うことになり 本拠地を壱岐と九州から現在の大三島へ移し当時名乗っていたツクヨミの名前を大山祇と変えます。 これが大山祇の素性です。 喧嘩するのも仕方ないあとから卑弥呼達がやってくるもんですから。最初に国の礎を築いたのはツクヨミの一族ということも知っておいてください。 ツクヨミ(トルコ、百済金海伽耶) 卑弥呼(貴州省呉太伯) スサノオ(新羅) 兄弟としている古事記日本書紀は 全くのデタラメであり それぞれ異なる民族であるということを記載してません この者たちは兄弟となりましたという意味で書かれてるかもしれません 鎌倉時代以降は、越智氏の流れをくむ中世、伊予国最大の豪族河野氏の氏神として崇敬されます、社殿、祭具などが寄進され、また武運長久を祈る武将たちからおびただしい武具甲冑の奉納がなされた。 境内に歴史資料館があります系図も飾ってありますが。越智族の系図ですのでこれだけ見ても全体は見えません。 甲冑武具、銅鏡の展示は一見価値ありますが薄暗いので一人だと怖い。 時代は下がり 戦国争乱のうちに河野氏が滅亡し、幕藩体制が確立すると、大山祇神社は松山藩領となり、その庇護のもとに神社の経営はなされます。 豪族河野氏、神野氏とも書きます これらが神野水軍を後の村上水軍となっていきます。 最後に 大山祇のこどもに 大国主と木花咲耶姫命がいます 木花咲耶姫命は天孫ニニギと結婚したのちすぐ離婚し八咫烏と婚姻関係を結びそこで名前を前玉姫(さきたまひめ)と名前を変え鹿児島から富士山、関東へ渡り子孫繁栄を成します。 大国主は出雲で祀られております スサノオと卑弥呼による国譲り説得が行われ出雲大社が建てられます 出雲大社の本殿内に客人の間(まろうどのま)というのがあります ここに越智族の祖神 ウマシアシカビヒコチが祀られています。 スサノオとの関係を申しますと スサノオと大国主命は戦争します 大国主一族の越智族とスサノオ一族が戦争を終えたことを ヤマタノオロチ退治したとなり 越智族すなわちヤマタノオロチということです。 出雲大社で大国主命が拝殿のほうではなく西を向いてることは有名ですよね。故郷を向いてるんですよ グーグルマップで出雲大社本殿の真西に線を引っ張っていったら 金海伽耶にたどり着きます。 大国主の祖先を祀ることで 越智族の系図がみえてくるのです 知らんけど(笑) ぜひ行かれてください☺ ありがとうございます☺
裸足めぐり《25時の天国》裸足めぐり《25時の天国》
追記(2021年12月、22年1月)。 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』ことの意味。 山の神が海の神ともされることについて以前、理屈っぽく『陰陽五行思想の五行相剋に拠る』と書きましたが、 それ以外にも、もっと自然(じねん)的な、海洋民のヤマ信仰と強く結び付いているのではないかとも、考えるようになりました。 海に出ることを生業とする者にとって、ヤマ(山、㠀=島・嶋・嶌、巨岩、岬、沿岸の特徴的な地形や建物等、海から見える目印の総称)は、海上での現在地を特定し、航路や漁場を導き出す重要な手掛かりです。 (ヤマの概念は、建築家・都市環境空間デザイナーの上田篤の著作『日本の都市は海から作られた 海辺聖標の考察』中公新書、1996に詳しい) 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』と歌う曲(注)がありますが、より正確には『水平線上のヤマヤマが見えなければ 今いる場所が分からない』ということです。 また、ヤマは海上からの見え方によって、気象の変化を予測する指標にもなります。 例えば『遠くのあのヤマが霞んで見えていたら、午後の天気が荒れる』など。 海に出る人々は、ヤマヤマを頼りに暮らしているのですから、ヤマに神や霊力を感じ、感謝したり畏怖したり、守り神として祀ることは自然なことでしょう。 (注)STU48の楽曲『暗闇』。 この曲のMVでは、宮浦港周辺や台(うてな)海浜もロケ地となっていて、 阿奈波神社ファン、大山祇神社ファン、大三島ファンは一見の価値ありです。 大山祇神社 一の鳥居や阿奈波神社のあづまやも、さり気なく、しかし印象的に映っています。 −−−− 以下、以前(2020年8月)の記述。 −−−− パッと見だと見過ごしてしまいそうになりますが、 注連縄が左→右(向かって左が本、右が末になっています。 それにしても、2020年8月現在の拝殿の注連縄は、末の処理がとても丁寧で感服します)。 大神神社や出雲大社の注連縄は、左→右であることをあからさまに主張している感じですが、ここは控え目です。 そこが却って、御祭神一座の強い意志のようなものを醸し出しています。 (ただ、太さや撚り方は、年によって違うのかな?2018年の写真を確認すると、もっと細い注連縄でした) --- 御祭神一座を「海の神」と言い切ってしまっている方もいらっしゃいますね(註)。 ・・・が、やはり大山積は、第一義的に「山の神(山津神)」です。 海の守り神とも考えられるようになったのは、陰陽五行思想の五行相剋のひとつ『土剋水』に拠る考え方でしょうね。 山(=土)の神の総大将(あるいは山の神々の集合概念)である大山積神を、海(=水)の要所に位置する島に祀り、海を抑え込もうという目論見です。 (※例えば、倉敷市笹沖の『帆下げの宮』の異名のある足高神社、呉市安浦の三津口湾を守る柏島神社、新居浜市黒島の黒嶋神宮の主祭神は、いずれも大山積神) まあ勿論、山津神や龗神という存在は、山に懸かる雲・山に降る雨雪・水源の沢・渓流・瀧・土石流などの「山にまつわる自然水」の神でもあるため、水神・龍神としての性格を備えているわけではありますが・・・。 余談ながら、拝殿左脇の「神水の井戸」の御祭神の水波能売神は、水の神でも「人為活動(神々のために人がなす行為も含む)の用水」の神様なので、井戸周辺に強いコントラストがあって面白いです。 (註)大山祇神社の元宮司・三島敦雄は、1927年に刊行した『天孫人種六千年史の研究』の中で、 スメル語(シュメール語)の「海神ヤーの上陸場所」を表す「ヤーツ」が「やまつ」に変化したと述べています。 三島氏のこの著作は、百年近く経った今もなお刺激的で面白いものです。 天孫族がシュメールの末裔、和古語はシュメール語で解釈できるetc.とはとても思わない私ですら、 夢中になって読めましたし、感覚的にストンと腑に落ちる記述や、日本の神々を考える上でヒントになるのではないかと思える指摘なども多いです。 --- 大山祇神社拝殿に向かって右側の回廊にあるブースの職員さんに本社や摂末社のことなどを尋ねても、多くは期待できません(ぼんやりとなんとなくの返答や、結局はぐらかされたことも)(※)。 その代わり、そのブースで買える『大山祇神社略史』は、情報量があって読み応えがあるし、面白いです。 カラー写真満載の小冊子『大三島詣で』は、観光パンフレットみたいなものかな?と思ったら、『略史』を補完するような内容が結構載っていて、侮れません。 (※)さすがに、以前訪れた大山祇神社宝物館の女性職員さんは博識で、打てば響く方でした。 --- 個人的には、ここ大山祇神社に関しては、小雨の夜、あるいは月明かりの夜に参拝することを、気に入っています。 なので、夜間には拝殿や上津社、下津社への参拝は不可能になることが残念です。
松田美穂子松田美穂子
2025年6月13日(金)の14時頃に再訪しました!今回もしまなみ海道などを経て車で伺いました。この時は工事中で使用不可でしたが、神社の鳥居前に専用の駐車場があるので、参拝者は無料(利用時間:8:00-17:30)で停めることができます。しまなみ海道ができる以前の神社への参拝は船でのルートしかなく、参拝者は港にある〝一の鳥居〟(写真あり)をくぐり神社まで続く参道を歩いて参拝していました。今では船で訪れる人は殆どいないと思いますが、正式な参拝ルートはこちらからのようです。今回は参拝とともに、前回伺った際に寄ることの出来なかった宝物館、海事博物館なども訪れる事ができました!(※境内からの行き方など写真あり)宝物館は境内の授与所の裏手にあり、授与所脇に宝物館への入り口があります。(神社脇の道から境内を通らずに直接宝物館へ向かう事もできます。)境内の入り口からは、右手へ行ったところに階段があり、その階段を上がった所に宝物館・海事博物館の入り口ゲートがあります。チケット売り場で2館共通のチケット(¥1,000)を購入し、入り口でチケットを見せて入ります。全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこちらに納められていることもあり、歴史の重みが感じられ、とても見応えがありました。撮影不可なので掲載できる写真はありませんが、参拝される際には(歴史がお好きな方には特に)必見です‼︎ 一方海事博物館には、昭和天皇の海洋生物研究のための御採集船〝葉山丸〟が館の中心に展示され、昭和天皇の研究資料や貝殻🐚、鉱石、動植物の標本など、海洋生物に関する資料を中心に展示されていました。こちらもたくさんの展示物があり、とても興味深く見学させて頂きました。個人的にはガンギエイの標本が宇宙人👽の干物(?)にしか見えず、興味が引かれました(笑)※宝物館・海事博物館のクチコミもそれぞれ掲載しています。 広島訪問の際、祖先に所縁のあるこちらの神社にも訪れてみようということになり、広島空港に到着後、車でしまなみ海道を経由しながら訪問しました。30年程前、愛媛県の親戚宅を訪問した際に、大三島にあるこちらの神社にも是非訪れてみたいと言ったところ、当時はしまなみ海道も開通しておらず、「フェリーなどを乗り継がなくては行けない不便な所だから…」と言われ訪れる事が出来ませんでしたが、現在は広島空港からも1時間ほどで到着する事が出来るほどとても便利になりました。駐車場は神社の駐車場もありますが、“道の駅 しまなみの駅 御島“の駐車場にもお店の利用で無料で停める事が出来ました。大山祇神社の神紋(神社の家紋)は「隅切折敷縮三文字(すみきりおしきちぢみさんもじ)」といい、静岡県にある三嶋大社の神紋「折敷に三文字(おしきにさんもじ)」とほぼ同じ紋です。これは、どちらの神社の御祭神も大山祇命(オオヤマツミノミコト)であることに由来します。(三嶋大社へ参拝した際に撮った神紋との比較写真をご参照ください)境内は神聖な気が漂っていて、御神木の「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」は樹齢2600年と伝えられる大木で、前に立つと大きなパワーを感じます。伺った日は平日のお昼過ぎでしたので、それほど参拝客もおらず、ゆったりと参拝する事が出来ました。今回時間の都合で残念なことに宝物館への訪問ができませんでしたが、全国の国宝・重要文化財に指定された武具の約8割がこちらの宝物館に収蔵されているとのことなので、参拝の際は必見だと思います。御朱印は神札授与所(午前9:00〜午後5:00)で初穂料500円で授与出来ます。
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大山祇神社です 式内社 伊豫國越智郡 大山積神社 名神大 伊豫國一宮 旧國幣大社 御祭神 大山積神 境内社 伊豫國総社 僕は広島県から瀬戸内海、愛媛県大三島にある。西瀬戸自動車道、大三島ICから西に5Kmくらい。大三島の島西部の最奥へ。宮浦、神体山・鷲ヶ頭山(437m)の麓に鎮座です。 神社周囲には海鮮丼屋やお食事処、お土産物屋などがあります、道路脇に駐車場🅿が有ります 駐車場🅿鳥居の横にあまり広くない10台ほど他にもあります バス駐車場は奥にあるみたい トイレ🚻○身障者○ 車椅子♿補助者△ 大山祇神社は完全なバリアフリーではありません、小さな段差をクリアしスロープを利用すれば、車いすで参拝できます。公道との接続部や鳥居下に低い段差があります、後ろ向き操作で平坦な硬い土面になりますよ。 御祭神 大山積大神 大三島記文に、仁徳天皇の御宇(ギョウウ 仁徳天皇が治めていた期間)に、 乎知命(オチノミコト)が 祖神・大山祇命を祀ったとあります。 『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。 養老3年(719)に 遷宮の儀が執り行われた。 各地の三島神社の総本山で、日本総鎮守とも呼ばれる神社。大三島は古くは御島と書かれ、後に三島となり、大三島となった。また、三島神を奉祭するが故に、大三島となった諸説ありそう です 伊豫國風土記逸文には、以下のように記されています。 「御嶋。坐す神の御名は大山積の神。一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津の國の御嶋の名なり。」風土記では、仁徳天皇の御宇に大阪高槻市三島江に出現し、そこから、伊予へ移ったとされている。また、山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されている。 上記の説明簡単に 三島に現れた神はおおやまつみ またの名はわたつみのかみ 仁徳天皇が大阪の在任期間に治めていたとき大山祇が現れた。 この方は、韓国百済から渡ってきて 今は三島にいらっしゃっる。 です。 韓国から来た方ですね 昔は国境がないので船で自由に行き来してます。韓国人という概念はなく海洋民族です。 韓国から日本へまずたどり着く場所は 長崎県壱岐対馬です。ここには国幣社や官幣大社がたくさんあります 壱岐対馬と九州北部から内陸部(熊本県)にかけてワタツミ神社がありますもちろん大山祇神社もあります。 大山祇はこの方の最後の呼び名であるので大山祇神社を探索しても この方の晩年期の歴史しか残されていないので。もう一つの呼び名ワタツミを探索します。 この綿津見、当て字はたくさんあります海神とかいろいろありますが綿津見で通します。 この綿津見を調べていくと九州背振山の山奥にある小さな神社の由緒書きに壱岐の綿津見神社と海人族を示すことが書かれています。そして壱岐に渡り、綿津見神社を調べていくと 大山祇神の素性がバレます☺ 古代九州にはいろんな民族がわんさかいました言葉も顔も髪の色も目の色も食文化も違います。よって当然喧嘩も絶えませんこれを倭国大乱と言います まず大山祇の末裔の乎知命(オチノミコト)おち、オチ、榲、鉞といろんな当て字がありますが日本発音ではオチ 日本語は越智ですね これを日本国内には調査書物がないのでお隣韓国を調べていくと金越智(キムオチ)という人に行き当たります。 この金越智が越智族の祖先神になります。韓国現地発音は古遅(コチ) かなり中略して ウマシアシカビヒコチとなります。 ウマシアシカビヒコチの先祖は 韓国ドラマに鉄の王キムスロというのがあります。このキムスロが先祖です 福岡県にキムスロゆかりの山があり土地名もいじられてありますが現存してます。 この海洋民族は日本と大陸を行ったり来たりと朝鮮、中国と交流があっていたという証拠ですね。 伊予国造乎知命が、この神を祀り、その子孫の越智玉純が養老三年(七一九)現在の地に社殿を建立したといいます。 大山祇 この方の素性を壱岐に残る明治前の100年以上前の神社帳にこう書かれています。 「倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王、卑弥弓呼(ヒミミコかヒミココ)と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く」 現代語訳: 卑弥呼は、狗奴国の男王の卑弥弓呼と以前から不仲で、倭の使者を派遣して郡に赴き、互いに攻撃し合っている状況を魏に報告させた。 大山祇は卑弥呼と戦争します 九州の佐賀県から福岡県南部 大山祇のこどもの大国主 大国主の代でもスサノオと戦争します。兵庫県南部瀬戸内際 喧嘩が絶えない民族なのもので この一族は随分あとになって親子に渡り責任を負うことになり 本拠地を壱岐と九州から現在の大三島へ移し当時名乗っていたツクヨミの名前を大山祇と変えます。 これが大山祇の素性です。 喧嘩するのも仕方ないあとから卑弥呼達がやってくるもんですから。最初に国の礎を築いたのはツクヨミの一族ということも知っておいてください。 ツクヨミ(トルコ、百済金海伽耶) 卑弥呼(貴州省呉太伯) スサノオ(新羅) 兄弟としている古事記日本書紀は 全くのデタラメであり それぞれ異なる民族であるということを記載してません この者たちは兄弟となりましたという意味で書かれてるかもしれません 鎌倉時代以降は、越智氏の流れをくむ中世、伊予国最大の豪族河野氏の氏神として崇敬されます、社殿、祭具などが寄進され、また武運長久を祈る武将たちからおびただしい武具甲冑の奉納がなされた。 境内に歴史資料館があります系図も飾ってありますが。越智族の系図ですのでこれだけ見ても全体は見えません。 甲冑武具、銅鏡の展示は一見価値ありますが薄暗いので一人だと怖い。 時代は下がり 戦国争乱のうちに河野氏が滅亡し、幕藩体制が確立すると、大山祇神社は松山藩領となり、その庇護のもとに神社の経営はなされます。 豪族河野氏、神野氏とも書きます これらが神野水軍を後の村上水軍となっていきます。 最後に 大山祇のこどもに 大国主と木花咲耶姫命がいます 木花咲耶姫命は天孫ニニギと結婚したのちすぐ離婚し八咫烏と婚姻関係を結びそこで名前を前玉姫(さきたまひめ)と名前を変え鹿児島から富士山、関東へ渡り子孫繁栄を成します。 大国主は出雲で祀られております スサノオと卑弥呼による国譲り説得が行われ出雲大社が建てられます 出雲大社の本殿内に客人の間(まろうどのま)というのがあります ここに越智族の祖神 ウマシアシカビヒコチが祀られています。 スサノオとの関係を申しますと スサノオと大国主命は戦争します 大国主一族の越智族とスサノオ一族が戦争を終えたことを ヤマタノオロチ退治したとなり 越智族すなわちヤマタノオロチということです。 出雲大社で大国主命が拝殿のほうではなく西を向いてることは有名ですよね。故郷を向いてるんですよ グーグルマップで出雲大社本殿の真西に線を引っ張っていったら 金海伽耶にたどり着きます。 大国主の祖先を祀ることで 越智族の系図がみえてくるのです 知らんけど(笑) ぜひ行かれてください☺ ありがとうございます☺
猫神様の眷属だいふく

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追記(2021年12月、22年1月)。 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』ことの意味。 山の神が海の神ともされることについて以前、理屈っぽく『陰陽五行思想の五行相剋に拠る』と書きましたが、 それ以外にも、もっと自然(じねん)的な、海洋民のヤマ信仰と強く結び付いているのではないかとも、考えるようになりました。 海に出ることを生業とする者にとって、ヤマ(山、㠀=島・嶋・嶌、巨岩、岬、沿岸の特徴的な地形や建物等、海から見える目印の総称)は、海上での現在地を特定し、航路や漁場を導き出す重要な手掛かりです。 (ヤマの概念は、建築家・都市環境空間デザイナーの上田篤の著作『日本の都市は海から作られた 海辺聖標の考察』中公新書、1996に詳しい) 『水平線見えなければ 今いる場所が分からない』と歌う曲(注)がありますが、より正確には『水平線上のヤマヤマが見えなければ 今いる場所が分からない』ということです。 また、ヤマは海上からの見え方によって、気象の変化を予測する指標にもなります。 例えば『遠くのあのヤマが霞んで見えていたら、午後の天気が荒れる』など。 海に出る人々は、ヤマヤマを頼りに暮らしているのですから、ヤマに神や霊力を感じ、感謝したり畏怖したり、守り神として祀ることは自然なことでしょう。 (注)STU48の楽曲『暗闇』。 この曲のMVでは、宮浦港周辺や台(うてな)海浜もロケ地となっていて、 阿奈波神社ファン、大山祇神社ファン、大三島ファンは一見の価値ありです。 大山祇神社 一の鳥居や阿奈波神社のあづまやも、さり気なく、しかし印象的に映っています。 −−−− 以下、以前(2020年8月)の記述。 −−−− パッと見だと見過ごしてしまいそうになりますが、 注連縄が左→右(向かって左が本、右が末になっています。 それにしても、2020年8月現在の拝殿の注連縄は、末の処理がとても丁寧で感服します)。 大神神社や出雲大社の注連縄は、左→右であることをあからさまに主張している感じですが、ここは控え目です。 そこが却って、御祭神一座の強い意志のようなものを醸し出しています。 (ただ、太さや撚り方は、年によって違うのかな?2018年の写真を確認すると、もっと細い注連縄でした) --- 御祭神一座を「海の神」と言い切ってしまっている方もいらっしゃいますね(註)。 ・・・が、やはり大山積は、第一義的に「山の神(山津神)」です。 海の守り神とも考えられるようになったのは、陰陽五行思想の五行相剋のひとつ『土剋水』に拠る考え方でしょうね。 山(=土)の神の総大将(あるいは山の神々の集合概念)である大山積神を、海(=水)の要所に位置する島に祀り、海を抑え込もうという目論見です。 (※例えば、倉敷市笹沖の『帆下げの宮』の異名のある足高神社、呉市安浦の三津口湾を守る柏島神社、新居浜市黒島の黒嶋神宮の主祭神は、いずれも大山積神) まあ勿論、山津神や龗神という存在は、山に懸かる雲・山に降る雨雪・水源の沢・渓流・瀧・土石流などの「山にまつわる自然水」の神でもあるため、水神・龍神としての性格を備えているわけではありますが・・・。 余談ながら、拝殿左脇の「神水の井戸」の御祭神の水波能売神は、水の神でも「人為活動(神々のために人がなす行為も含む)の用水」の神様なので、井戸周辺に強いコントラストがあって面白いです。 (註)大山祇神社の元宮司・三島敦雄は、1927年に刊行した『天孫人種六千年史の研究』の中で、 スメル語(シュメール語)の「海神ヤーの上陸場所」を表す「ヤーツ」が「やまつ」に変化したと述べています。 三島氏のこの著作は、百年近く経った今もなお刺激的で面白いものです。 天孫族がシュメールの末裔、和古語はシュメール語で解釈できるetc.とはとても思わない私ですら、 夢中になって読めましたし、感覚的にストンと腑に落ちる記述や、日本の神々を考える上でヒントになるのではないかと思える指摘なども多いです。 --- 大山祇神社拝殿に向かって右側の回廊にあるブースの職員さんに本社や摂末社のことなどを尋ねても、多くは期待できません(ぼんやりとなんとなくの返答や、結局はぐらかされたことも)(※)。 その代わり、そのブースで買える『大山祇神社略史』は、情報量があって読み応えがあるし、面白いです。 カラー写真満載の小冊子『大三島詣で』は、観光パンフレットみたいなものかな?と思ったら、『略史』を補完するような内容が結構載っていて、侮れません。 (※)さすがに、以前訪れた大山祇神社宝物館の女性職員さんは博識で、打てば響く方でした。 --- 個人的には、ここ大山祇神社に関しては、小雨の夜、あるいは月明かりの夜に参拝することを、気に入っています。 なので、夜間には拝殿や上津社、下津社への参拝は不可能になることが残念です。
裸足めぐり《25時の天国》

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2025年6月13日(金)の14時頃に再訪しました!今回もしまなみ海道などを経て車で伺いました。この時は工事中で使用不可でしたが、神社の鳥居前に専用の駐車場があるので、参拝者は無料(利用時間:8:00-17:30)で停めることができます。しまなみ海道ができる以前の神社への参拝は船でのルートしかなく、参拝者は港にある〝一の鳥居〟(写真あり)をくぐり神社まで続く参道を歩いて参拝していました。今では船で訪れる人は殆どいないと思いますが、正式な参拝ルートはこちらからのようです。今回は参拝とともに、前回伺った際に寄ることの出来なかった宝物館、海事博物館なども訪れる事ができました!(※境内からの行き方など写真あり)宝物館は境内の授与所の裏手にあり、授与所脇に宝物館への入り口があります。(神社脇の道から境内を通らずに直接宝物館へ向かう事もできます。)境内の入り口からは、右手へ行ったところに階段があり、その階段を上がった所に宝物館・海事博物館の入り口ゲートがあります。チケット売り場で2館共通のチケット(¥1,000)を購入し、入り口でチケットを見せて入ります。全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこちらに納められていることもあり、歴史の重みが感じられ、とても見応えがありました。撮影不可なので掲載できる写真はありませんが、参拝される際には(歴史がお好きな方には特に)必見です‼︎ 一方海事博物館には、昭和天皇の海洋生物研究のための御採集船〝葉山丸〟が館の中心に展示され、昭和天皇の研究資料や貝殻🐚、鉱石、動植物の標本など、海洋生物に関する資料を中心に展示されていました。こちらもたくさんの展示物があり、とても興味深く見学させて頂きました。個人的にはガンギエイの標本が宇宙人👽の干物(?)にしか見えず、興味が引かれました(笑)※宝物館・海事博物館のクチコミもそれぞれ掲載しています。 広島訪問の際、祖先に所縁のあるこちらの神社にも訪れてみようということになり、広島空港に到着後、車でしまなみ海道を経由しながら訪問しました。30年程前、愛媛県の親戚宅を訪問した際に、大三島にあるこちらの神社にも是非訪れてみたいと言ったところ、当時はしまなみ海道も開通しておらず、「フェリーなどを乗り継がなくては行けない不便な所だから…」と言われ訪れる事が出来ませんでしたが、現在は広島空港からも1時間ほどで到着する事が出来るほどとても便利になりました。駐車場は神社の駐車場もありますが、“道の駅 しまなみの駅 御島“の駐車場にもお店の利用で無料で停める事が出来ました。大山祇神社の神紋(神社の家紋)は「隅切折敷縮三文字(すみきりおしきちぢみさんもじ)」といい、静岡県にある三嶋大社の神紋「折敷に三文字(おしきにさんもじ)」とほぼ同じ紋です。これは、どちらの神社の御祭神も大山祇命(オオヤマツミノミコト)であることに由来します。(三嶋大社へ参拝した際に撮った神紋との比較写真をご参照ください)境内は神聖な気が漂っていて、御神木の「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」は樹齢2600年と伝えられる大木で、前に立つと大きなパワーを感じます。伺った日は平日のお昼過ぎでしたので、それほど参拝客もおらず、ゆったりと参拝する事が出来ました。今回時間の都合で残念なことに宝物館への訪問ができませんでしたが、全国の国宝・重要文化財に指定された武具の約8割がこちらの宝物館に収蔵されているとのことなので、参拝の際は必見だと思います。御朱印は神札授与所(午前9:00〜午後5:00)で初穂料500円で授与出来ます。
松田美穂子

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