博物館明治村にある東山梨郡役所は、明治18年(1885年)に山梨県日下部村(現在の山梨市)に建設された擬洋風建築の代表例です。当時の山梨県令・藤村紫朗の指導のもと、地元の大工たちが西洋建築を模倣しつつも、日本の伝統的な技術や美意識を融合させた独特のデザインが特徴的です。
建物は中央部が2階建てで、両翼が平屋建てとなっており、中央の2階部分には回廊が巡らされています。この回廊の柱は、ゴシック建築に見られる束ね柱を模した「胡麻殻しゃくり」と呼ばれる独特のデザインが施されています。また、壁面の隅には黒漆喰で隅石積み風の装飾が施され、木造建築でありながら石造建築の雰囲気を醸し出しています。
内部に入ると、漆喰塗りの天井には「波に千鳥」や「松竹梅」など、日本伝統のモチーフが描かれた中心飾りが目を引きます。これらの装飾は、当時の大工たちが西洋建築を見よう見まねで取り入れつつも、自らの技術や美意識を反映させた結果といえるでしょう。
入鹿池周辺の古代遺跡の展示物が興味深かった。
この建物は、明治初期の地方行政の近代化を象徴する存在であり、当時の建築技術者たちの試行錯誤と情熱が感じられます。博物館明治村を訪れた際には、ぜひ東山梨郡役所に足を運び、明治時代の建築の魅力と歴史的背...
Read more明治18年(1885)新庁舎としてこの建物が落成。
当時の山梨県令藤村紫朗は大変開明的な人物で、地元に多くの洋風建築を建てさせている。人々はそれらを「藤村式」と呼んだが、この東山梨郡役所もその一例。
正面側にベランダを廻らせ、中央棟と左右翼屋で構成する形式は、先の三重県庁舎と同様、内務省に代表される当時の官庁建築の特徴である。
この建物は地元の職人の手になるものであるが、木造桟瓦葺の外形に伝統技法を駆使して様々な洋風の意匠を施している。ベランダの柱は凸面のひだをとった胡麻殻决り(ごまがらじゃくり)の丸柱として、洋風の束ね柱(たばねばしら)を模し、壁面の出隅には黒漆喰を用いて隅石積の形を塗り出している。二階手摺の構成等には、純粋の洋風建築にはない面白さがある。室内では花鳥風月をあしらった天井の漆喰塗中心飾が特に美しい。
この東山梨郡役所は中央部分が二階建、左右翼屋が平家建になっており、このため屋根が複雑に架けられている。屋根を支える小屋組は、中央の大屋根部分が大スパンに適した洋小屋のキングポストトラス、翼屋の部...
Read more東山梨郡役所は、地方行政の整備に伴って改変された東山梨郡の新庁舎であった。 当時の山梨県令(現在の知事)藤村紫員が奨励した洋風建築のひとつであり、左右対称の形や正面を廻るベランダは当時の官庁英築の典型的な特徴である。 正面の列柱は洋風のフルーティング(講形り)を核し、壁面の出陽は凍瓦造や石造の変楽によく見られる陽石積を漆喰で模している。 それらは、地元の職人が洋風建築の特徴をデザインとして取り入れたものであるが、通風の正確な姿に作られていないため、寝準風と呼ばれている。 室内では花鳥風月をあしらった天井の漆喰塗...
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