北条時政が建てた高野山真言宗の願成就院。こじんまりしたこの寺には五体の国宝がある。全て運慶作のものという珍しい作品だ。 門をくぐると参道左手に時正公が祀られている。真っ直ぐ進むと御朱印やお守りが販売されており、仏像を拝観するのに500円かかる。この対応をしてくださった方は海外の男性であった。 私たちの前に3-4組本堂に入っていて私たちが入ったらまとめて説明をおかみさんがしてくださるという。この寺の当主の方のようだ。 中は本尊を望み、コノ字型に座れるようになっている。そこに座り、仲間たちが全員座るのを待つ。全員が揃い、おかみさんが話し出す。10分間説明させてもらうがいいか?という確認。もちろん、とうなずき、このご本尊に込められた歴史や想いを聞いていたらあっという間だった。まるでミュージカルのようだった、という意見すらあった。 真ん中に座られているのが、阿弥陀如来坐像。 右手が毘沙門天像。数年前に上野の運慶展の際に34年ぶり?に外に出したらしい。当時、ポスターになっていたような気がする。 左手が不動明王。不動明王の両脇には矜羯羅童子と制咜迦童子が躍動感高く在していた。 本堂の中は写真撮影が不可。 この寺の歴史、吾妻鏡への記載、時代背景、なぜこの五体が国宝に定められたのか、さらに胎内に納められていた四枚の五輪塔婆形銘札も国宝に定められたこと、建立当時の寺の様子、阿弥陀如来坐像の創られた当時の様子の推察、2022年にはその一部が蘇る予定だということ、など情熱を持って語っていただけた。 認定理由は大きく2つあり、1つは運慶自らが弟子に任せずにおそらく一人で作ってあること、これは銘札に時正、運慶とはっきりと記載(宝物殿に飾られていて肉眼でもハッキリと確認できる)されており、通常弟子の名前と連名であることが多い慶派の作品の中でもきわめて稀であること。 なぜ一人で創ったのか。それまでの運慶は平家、公家に使え西にて作品を表現していたが、この時代、平家が滅び、武家社会が出てきた大きな時代のうねりの中で、最初に武家から依頼され形にしたものであったという解釈が大きい。ここから大きく東国の各武将たちの荒々しい闘争心や力を表現する第一歩の作品になったということであった。 こんなに間近に国宝が9つも観れるのは他にないのではないか。奈良京都に集中することが多い中で少し飛んで伊豆に存在している。 鎌倉幕府、武家社会のうねりの最初の一歩が出たこの伊豆の地に大きな生命力が湧き出るのを感ぜざるを得ない。 毘沙門天像は少し離れたところから見ると荒々しく、力を放つ。しかし、間近に見ると幼さを思わせる、幼い男の子のような表情を見せる。こんなに間近に見れるからこその感情ではないだろうか。 最後に当主の方の並々ならぬこの寺、この場所、この仏たちへの愛情を感じた。熱は言葉となり、言葉以上に伝播する。時空を超えて守られてきた奇跡は訪れた人への...
Read more文治5年(1189年)北条政子の父で鎌倉幕府初代執権・北条時政が娘婿・源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝を祈願し建立したと伝わっています。 しかし、国宝に指定されている運慶作の諸仏が、文治2年(1186年)から作り始めている事から、奥州征伐の戦勝祈願のためと云うより、北条氏の氏寺として創建したものではないのかと思われます。 北条時政とその子・義時、孫の泰時の三代にわたり次々に堂宇が建立され藤原様式の大伽藍になりました。 しかし、たびたび戦火にみまわれ伽藍は焼失し、事実上願成就院は壊滅しました。 江戸時代になり、北条氏の末柄・北条氏貞により再建され、現在残っている遺構は、ほぼ当時のものと云われています。 願成就院に残っている国宝は、 阿弥陀如来坐像 不動明王立像 衿羯羅童子立像 制吒迦童子立像 毘沙門天立像 ※仏像の見所 【1】阿弥陀如来坐像 ①かっては玉眼 両目から鼻にかけ損傷の為なのか玉眼ではなく、内側からあてた木に眼が彫られている。 ②印相 両手を胸の前に挙げ、説法印を結ぶ指が欠損しているが、親指と中指を捻じていたようです。 ③渦巻く衣文 気流が渦巻く様に流れる衣文の襞(ひだ)は、圧倒的な迫力が有ります。 【2】不動明王立像 ①眼力 両眼をかっと見開き玉眼をはめ込んだ眼がらんらんと光っています。 ②剛毛の巻毛 不動明王の髪は、髪全体を真っ直ぐ伸ばし束ねる総髪(そうはつ)と巻髪(けんぱつ)に分かれるが、この像は後者に属し、躍動感溢れる巻き毛です。 ③躰の色 全身の色は、現在は黒っぽくなっているが、本来は青色に塗られていたと思われます。 【3】衿羯羅童子(こんがらどうじ) ①蕾の蓮華 蕾の蓮華は、未開敷蓮華(みかいふれんげ)と言われ、開いた蓮華は悟りを象徴し、蕾は修業中を表しています。 ②口元 口を軽く開き前歯をのぞかし、何かを語ろうとしているのかも。 【4】制吒迦童子(せいたかどうじ) ①口元 額の3本のシワとへの字に結んだ口元が 、何が有っても動かなそうな強情な表情を表しています。 【4】毘沙門天立像 ①東国武士の様な顔立ち。 きりっとした眼とへの字に結んだ口。東国の美丈夫ともいうべき凛凛しい顔立ちです。 ②鎧の下の肉体感。 内側にたくましい肉体を包み込み、はちきれんばかりの見事な鎧の表現。 ③戟(げき)を掴む邪鬼。 邪鬼の一匹が、毘沙門天の持つ戟の下端を掴んでいるユニークな構図は、運慶の優れた構想による。 ④戟を持つ位置。 平安時代の毘沙門天は右手を下げて、腰の付近で戟を持つことが多いですが、この像は右手を胸脇に上げて、右肘を外に張り出して戟を持っている姿が特徴で、戦闘態勢に入っている緊張感が伝わってきます。 以上5躰の国宝を見る拝観料が50...
Read more国宝の5体の運慶作の仏像もさることながら、三代目執権「北条泰時」が北条政子の7回忌に奉納した、その面影を写したともいう「地蔵菩薩坐像(通称:政子地蔵)」が、素晴らしいイケメンで美形なのに驚かされました。涼やかな切れ長の目がカッコよく、女子にしておくのが本当に勿体ない(笑)...
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