2016/03/31と4/1の両日参拝してきました。 粟船山常楽寺の「粟船(あわふね)」は、現在の地名「大船」の由来しているそうです。 鎌倉幕府三代執権の北条泰時が妻の母の供養のため「粟船御堂」を建て、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が供養の導師をつとめたのがこの寺の始まりです。 泰時は、現存する日本最古の築港「和賀江島」を材木座に築いたし、武家法の規範となった「御成敗式目」を制定した名執権で、仏殿(県重文)の裏手(3基ある右側が泰時、左が南浦紹明…大応国師)に眠っておられます。傍には南浦紹明(なんばしょうみん)⇨大応国師)も眠っています。紹明は、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の元で学んだ後、博多崇福寺に移り北九州に禅を広めた高僧。粟船山中腹には木曽義仲の子義高の霊を祀る木曾塚もありました。 仏殿右横の休憩できる丸太に腰掛て、前方に広がる禅宗庭園を眺め、左の築山から「色天無熱池」に落ちる水音と、時たま跳ねる金色の鯉の姿と音に驚かされながら半跏趺坐で座禅を暫くしました。途中、方丈の方から読経の声が聞こえ又と無い時間が過ごせました。 仏殿の左側には蘭渓道隆ゆかりの文殊菩薩坐像が安置されている文殊堂があります。 また、山門を出て右に廻りこみ背後の法を上れば、最上部には、木曽義仲の息子義高を祀った木曾塚もあります。中腹には泰時の娘姫宮の墓が手前に、その奥には粟船稲荷があります。 木曾塚からは、塚を廻った裏側にある「大船むくどり公園」に出られますから、公園の階段を下りて右側に...
Read more神奈川県は鎌倉市の外れに有ります「常楽寺」さんです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公であった北条義時の子、北条泰時に縁の古刹です。
ここ常楽寺の創建年は1237年の鎌倉時代前期です。最初は北条泰時の妻の母の供養の為に建立されたのが始まりとか。
それほど大きな寺では有りませんが、流石は鎌倉幕府三代執権が建てた寺という感じで、そこはかとなく上品さは感じます。
本堂の天井には狩野雪信という方の、龍の天井絵が有りました。
そして本堂の裏手には北条泰時の墓所も有りましたね。三代執権の割には…ややシンプルでつつましい墓所でしたが。 (因みに本堂の裏の見学者が入れないエリアには、源頼朝が人質として取った木曽義仲の息子•木曽義高の墓所も有ります)
また本堂の前には現存していれば樹齢800年行ってそうな、細かく枝分かれ(芽吹き分かれ)した大イチョウの木が有りました。 恐らくは元々有った太い幹の大イチョウが無くなり、そこから新たに芽吹いたイチョウの木が、沢山寄り添い立っているという感じです。
ここ常楽寺は鎌倉なのに人はまばらで少なく、非常に落ち着いて見学出来る古刹でしたね。 皆さんも是非にブラリと訪れてみて下さい。
大河ドラマ放送中は「我らの泰時」などとツイートされ人気が有りましたね。多分演じた俳優さんの効果とは思いますが(笑)。
本当...
Read more三代執権北条泰時が妻の母の供養のために建てた粟船御堂がはじまりで、常楽寺の寺名は、泰時没後、その法名をとってつけられたとのことです。また、「粟船山常楽寺略記」によれば、北条政子が娘大姫と許嫁の木曽義高の菩提を弔うため創建したとされているそうです。 仏殿の裏には、北条泰時の墓があり、大姫と義高の墓も境内にあるのかと思いましたが、こちらは裏山にありました。 覚園寺の薬師堂へ行った際、案内の方から常楽寺の天井にも龍が描かれていると伺っていたので楽しみにしていました。こちらは狩野雪信が描いた龍とのことですが、だいぶかすれていますね。あと残念なことに、本尊の阿弥三尊像は、北条氏展で鎌倉国宝館へ出張中、また、重要文化財に指定されている鎌倉最古の梵鐘も鎌倉国宝館へ預けられているそうです。 庫裏で文殊菩薩の御朱印を頂きました。こちらは大船駅から徒歩15分とのことでしたが、お昼時に伺ってはご迷惑と思い、近道と思い直線コースを辿ったのですが、やけに細い道を歩くことになり、かえって道を間違えたりしたので...
Read more