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Tamanawa Castlesite — Attraction in Kamakura

Name
Tamanawa Castlesite
Description
Tamanawa Castle was a castle structure in Tamanawa ward of Kamakura, Kanagawa Prefecture, Japan. The adopted brother of Hōjō Ujiyasu, Hōjō Tsunashige was command of the castle.
Nearby attractions
Ryuhoji
129 Ueki, Kamakura, Kanagawa 247-0073, Japan
Hibiya Kadan Ofuna Flower Center Ofuna Botanical Gardens
1018 Okamoto, Kamakura, Kanagawa 247-0072, Japan
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KURA SUSHI Kamakura Branch
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1188-1 Okamoto, Kamakura, Kanagawa 247-0072, Japan
Saku Sushi
Japan, 〒251-0011 Kanagawa, Fujisawa, Watauchi, 4 Chome−5−14 佐久寿司
ダイニング湘鎌
Japan, 〒247-0072 Kanagawa, Kamakura, Okamoto, 1370-2 湘南鎌倉総合病院 先端医療センター棟 1階
Nearby hotels
Hotel Will Resort Kamakura
727-1 Sekiya, Kamakura, Kanagawa 247-0075, Japan
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Keywords
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Tamanawa Castlesite things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tamanawa Castlesite
JapanKanagawa PrefectureKamakuraTamanawa Castlesite

Basic Info

Tamanawa Castlesite

200 Shiromeguri, Kamakura, Kanagawa 247-0073, Japan
3.2(64)
Open until 12:00 AM
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spot

Ratings & Description

Info

Tamanawa Castle was a castle structure in Tamanawa ward of Kamakura, Kanagawa Prefecture, Japan. The adopted brother of Hōjō Ujiyasu, Hōjō Tsunashige was command of the castle.

attractions: Ryuhoji, Hibiya Kadan Ofuna Flower Center Ofuna Botanical Gardens, Teisoji, restaurants: KURA SUSHI Kamakura Branch, Ishikawa, Coco's Restaurant, Saku Sushi, ダイニング湘鎌
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Candlelight: 久石譲の音楽の世界
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No tourist traps, Samurai sword &archery training
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Taste and compare premium sake
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220-0005, Kanagawa Prefecture, Yokohama, Japan
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KURA SUSHI Kamakura Branch

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別名 甘縄城 城の型式 平山城 ・江戸時代以前… 永正9年(1512年)伊勢盛時こと、北条早雲公により築かれた城で、元々は砦だったものを本格的な戦闘用の城郭に改修された城。当時小田原城の主だった大森氏から早雲公が小田原城を奪い取ると、鎌倉や武蔵国(現在の東京都、埼玉県の一部、神奈川県の一部)の国守だった扇谷上杉家(おうぎがやつ・うえすぎ)や三浦義同(よしあつ)への備えとして小田原城に到達出来ないように、玉縄城で抑える最重要的な役割を持っていました。 三浦氏が滅亡後も、安房(現在の千葉県の下半分)里見家の備えとして、さらなる強化が施される。 玉縄城は、早雲公の子氏時、小田原の北条氏綱の子為昌、綱成、氏繁、氏舜(うじきよ)と4代に渡り継承されます。 玉縄城は「堅城」として名を馳せていて、安房里見の里見義豊を始めとする安房里見家を代表する猛将、勇将に何度も攻められますが防ぎきります。 また戦国時代最強クラスの大名の越後の龍こと軍神上杉輝虎(謙信)公本隊や、甲斐の虎こと武田晴信(信玄)公本隊の猛攻を何度も防ぎ、ついには攻略を諦めさせるに成功しました。 天正18年(1590年)小田原征伐が開始させると玉縄城は、徳川家康公率いる徳川軍に包囲されます。北条氏舜と氏勝は籠城の構えをひきますが、龍寶寺の住職に説得に応じ降伏します。戦後、氏勝は家康公の家臣となり下総(現在の千葉県、埼玉県の一部)岩富に1万石を与えられます。氏勝の子氏重は3万石に加増され掛川藩に移封するも子が無かったため改易となるが、親戚筋が名蹟を継ぎ、旗本として再興する。 ・玉縄藩立藩… 江戸時代に入り、玉縄には家康公の懐刀で側近中の側近の本多正信が1.2万石で入る。正信は江戸幕府初代老中首座に座り、江戸幕府中枢、憲政を握ります。正信の跡は息子の正純が継ぎ玉縄藩から下野(現在の栃木県)小山3.3万石に加増、さらに下野宇都宮藩15.5万石に大幅に加増し、やはり幕府老中に座りますが、宇都宮城釣り天井事件で失脚し改易処分となり、身柄は久保田藩の佐竹家に預けられます。 その後、本多正信系本多家は正純の嫡男正好(まさよし)が継ぎ本多姓から和田姓に改名し4500石を領し再興する。代々代官職を世襲する。 一方正純の次男正之は3000石を領する旗本となり駿府城城番、御使番(御使番…幕府の役人の監察、大奥と幕府を繋ぐ役回り)、遠国奉行(…幕府天領の支配を行う。旗本でありながら10万石の大名と同等の扱いになる)、御三卿付家老を歴任する。明治に入ると没落してしまう。 本多正純に替わり、水野忠守が3万石で入部する。嫡男忠元は徳川家第2代将軍徳川秀忠公に仕え下総小川藩3万石で移封する。その後水野家は、三河(現在の愛知県)岡崎藩5万石→肥前(現在の長崎県)唐津6万石→25.5万石。天保年間に水野忠邦が10万石幕府に返上し、遠江(現在の静岡県)浜松藩15.5万石で老中首座に座り、天保の改革をするも失敗し失脚。→5万石に大減封され出羽(現在の秋田県、山形県)山形藩に移封する。 水野忠守に替わり、長沢松平家の松平正綱が2.2万石で入る。水野家時代に一国一城令が発布され、玉縄城も破却されてしまったため旧玉縄城南側の麓に玉縄陣屋を作り政務を行う。3代正久が上総(現在の千葉県)大多喜藩に2万石で移封し、玉縄藩は廃藩となる。 寛政4年(1792年)陸奥(現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県)白河藩主で老中首座の松平定信が海岸防衛のため玉縄藩再興を幕府に進言するも却下される。 アクセス JR東海道本線、横須賀線、京浜東北線、大船駅から徒歩20分
ヨッシーヨッシー
初めての玉縄城散策で悩んだのが駐車場でした、龍寶寺の駐車場に駐車する事を考えましたが、駐車可能か分からなかったので、某大手ホームセンターの駐車場に駐車する事にしました!(入場後90分無料、お買い上げでさらに90分無料、追加料金60分330円) そこから徒歩でブラブラと龍寶寺へ向かい境内に有る、玉縄ふるさと館、旧石井住宅を見学、神風特別攻撃隊至誠隊隊長として戦死した團野少佐の辞世の句の石碑を拝見し悲惨な戦争を心に刻み、更に調べると、太平洋戦争中、米兵から情報を聞き出す過酷な尋問所である、大船収容所が北条氏の菩提寺の龍寶寺門前に有ったという悲惨な現実を垣間見て、玉縄城の知識を頭に詰め込みいざ城攻めに出陣えいえいおー! 小坂家長屋門〜七曲坂の登り口の冠木門を潜り七曲坂をてくてく登ると途中に七曲坂武者だまり跡が有ります、ベンチに座り景色を見て、さらにてくてく登り坂の上に到着そして、左に入る小道に入ると、太鼓櫓跡へまた元の道に戻り、大手門跡、城址の石碑、(階段で上がった所に有ります!)ふわん坂を通り(ふわん坂の入口は分かりにくく、城宿の中程、石原工務店さんの事務所?作業場?の間の道を入ってください!)某大手ホームセンター駐車場へ帰って来ました、見学時間はゆっくり散策で約120位でした! 遺構は少ないですが、信玄公、謙信公も落とせなかった当国無双の名城玉縄城へ皆様も是非城攻めに来てください! 後で分かったのですが、龍寶寺境内の中に有る玉縄ふるさと館の後ろの駐車場に駐車可能でした😅
ご機嫌おやじご機嫌おやじ
北条早雲が築いた戦国の城、玉縄城に行ってきました。 こちらのお城はあまり知らなかったのですが、信長の野望というゲームをやっていると神奈川県は小田原城と玉縄城がでてきて興味を持ちました。 行ってみると本丸のあった場所やその他大部分は学校の敷地となっていました。 許可を取ると学校内に入れるそうですが、今回はそこまではせず、周りを見学します。 大手門跡にはイメージ図と説明がありました。 そこからすぐ近くに太鼓櫓跡があります。 こちらが普通に見れる最も良い場所でしょうか。 上った先の景色もよく、住宅地に囲まれていますが、なんとか残してもらっている感じです。 その横には、しっかりと整備された通路があり、少し進むと階段になっています。 こちらが七曲坂武者だまり跡だそうです。 この坂の中腹にある広場で武者が防衛拠点を築いていたとか。 上杉、武田、里見、徳川。名だたる大名が攻めあぐねたお城とのことですごいですね。 学校の中に入らない場合は見どころはこれくらいなので、ちょっと残念です。 ゆくゆくは玉縄城が有名になって、もっと大規模に保存対象になるといいのになぁと思いました。
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別名 甘縄城 城の型式 平山城 ・江戸時代以前… 永正9年(1512年)伊勢盛時こと、北条早雲公により築かれた城で、元々は砦だったものを本格的な戦闘用の城郭に改修された城。当時小田原城の主だった大森氏から早雲公が小田原城を奪い取ると、鎌倉や武蔵国(現在の東京都、埼玉県の一部、神奈川県の一部)の国守だった扇谷上杉家(おうぎがやつ・うえすぎ)や三浦義同(よしあつ)への備えとして小田原城に到達出来ないように、玉縄城で抑える最重要的な役割を持っていました。 三浦氏が滅亡後も、安房(現在の千葉県の下半分)里見家の備えとして、さらなる強化が施される。 玉縄城は、早雲公の子氏時、小田原の北条氏綱の子為昌、綱成、氏繁、氏舜(うじきよ)と4代に渡り継承されます。 玉縄城は「堅城」として名を馳せていて、安房里見の里見義豊を始めとする安房里見家を代表する猛将、勇将に何度も攻められますが防ぎきります。 また戦国時代最強クラスの大名の越後の龍こと軍神上杉輝虎(謙信)公本隊や、甲斐の虎こと武田晴信(信玄)公本隊の猛攻を何度も防ぎ、ついには攻略を諦めさせるに成功しました。 天正18年(1590年)小田原征伐が開始させると玉縄城は、徳川家康公率いる徳川軍に包囲されます。北条氏舜と氏勝は籠城の構えをひきますが、龍寶寺の住職に説得に応じ降伏します。戦後、氏勝は家康公の家臣となり下総(現在の千葉県、埼玉県の一部)岩富に1万石を与えられます。氏勝の子氏重は3万石に加増され掛川藩に移封するも子が無かったため改易となるが、親戚筋が名蹟を継ぎ、旗本として再興する。 ・玉縄藩立藩… 江戸時代に入り、玉縄には家康公の懐刀で側近中の側近の本多正信が1.2万石で入る。正信は江戸幕府初代老中首座に座り、江戸幕府中枢、憲政を握ります。正信の跡は息子の正純が継ぎ玉縄藩から下野(現在の栃木県)小山3.3万石に加増、さらに下野宇都宮藩15.5万石に大幅に加増し、やはり幕府老中に座りますが、宇都宮城釣り天井事件で失脚し改易処分となり、身柄は久保田藩の佐竹家に預けられます。 その後、本多正信系本多家は正純の嫡男正好(まさよし)が継ぎ本多姓から和田姓に改名し4500石を領し再興する。代々代官職を世襲する。 一方正純の次男正之は3000石を領する旗本となり駿府城城番、御使番(御使番…幕府の役人の監察、大奥と幕府を繋ぐ役回り)、遠国奉行(…幕府天領の支配を行う。旗本でありながら10万石の大名と同等の扱いになる)、御三卿付家老を歴任する。明治に入ると没落してしまう。 本多正純に替わり、水野忠守が3万石で入部する。嫡男忠元は徳川家第2代将軍徳川秀忠公に仕え下総小川藩3万石で移封する。その後水野家は、三河(現在の愛知県)岡崎藩5万石→肥前(現在の長崎県)唐津6万石→25.5万石。天保年間に水野忠邦が10万石幕府に返上し、遠江(現在の静岡県)浜松藩15.5万石で老中首座に座り、天保の改革をするも失敗し失脚。→5万石に大減封され出羽(現在の秋田県、山形県)山形藩に移封する。 水野忠守に替わり、長沢松平家の松平正綱が2.2万石で入る。水野家時代に一国一城令が発布され、玉縄城も破却されてしまったため旧玉縄城南側の麓に玉縄陣屋を作り政務を行う。3代正久が上総(現在の千葉県)大多喜藩に2万石で移封し、玉縄藩は廃藩となる。 寛政4年(1792年)陸奥(現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県)白河藩主で老中首座の松平定信が海岸防衛のため玉縄藩再興を幕府に進言するも却下される。 アクセス JR東海道本線、横須賀線、京浜東北線、大船駅から徒歩20分
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初めての玉縄城散策で悩んだのが駐車場でした、龍寶寺の駐車場に駐車する事を考えましたが、駐車可能か分からなかったので、某大手ホームセンターの駐車場に駐車する事にしました!(入場後90分無料、お買い上げでさらに90分無料、追加料金60分330円) そこから徒歩でブラブラと龍寶寺へ向かい境内に有る、玉縄ふるさと館、旧石井住宅を見学、神風特別攻撃隊至誠隊隊長として戦死した團野少佐の辞世の句の石碑を拝見し悲惨な戦争を心に刻み、更に調べると、太平洋戦争中、米兵から情報を聞き出す過酷な尋問所である、大船収容所が北条氏の菩提寺の龍寶寺門前に有ったという悲惨な現実を垣間見て、玉縄城の知識を頭に詰め込みいざ城攻めに出陣えいえいおー! 小坂家長屋門〜七曲坂の登り口の冠木門を潜り七曲坂をてくてく登ると途中に七曲坂武者だまり跡が有ります、ベンチに座り景色を見て、さらにてくてく登り坂の上に到着そして、左に入る小道に入ると、太鼓櫓跡へまた元の道に戻り、大手門跡、城址の石碑、(階段で上がった所に有ります!)ふわん坂を通り(ふわん坂の入口は分かりにくく、城宿の中程、石原工務店さんの事務所?作業場?の間の道を入ってください!)某大手ホームセンター駐車場へ帰って来ました、見学時間はゆっくり散策で約120位でした! 遺構は少ないですが、信玄公、謙信公も落とせなかった当国無双の名城玉縄城へ皆様も是非城攻めに来てください! 後で分かったのですが、龍寶寺境内の中に有る玉縄ふるさと館の後ろの駐車場に駐車可能でした😅
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北条早雲が築いた戦国の城、玉縄城に行ってきました。 こちらのお城はあまり知らなかったのですが、信長の野望というゲームをやっていると神奈川県は小田原城と玉縄城がでてきて興味を持ちました。 行ってみると本丸のあった場所やその他大部分は学校の敷地となっていました。 許可を取ると学校内に入れるそうですが、今回はそこまではせず、周りを見学します。 大手門跡にはイメージ図と説明がありました。 そこからすぐ近くに太鼓櫓跡があります。 こちらが普通に見れる最も良い場所でしょうか。 上った先の景色もよく、住宅地に囲まれていますが、なんとか残してもらっている感じです。 その横には、しっかりと整備された通路があり、少し進むと階段になっています。 こちらが七曲坂武者だまり跡だそうです。 この坂の中腹にある広場で武者が防衛拠点を築いていたとか。 上杉、武田、里見、徳川。名だたる大名が攻めあぐねたお城とのことですごいですね。 学校の中に入らない場合は見どころはこれくらいなので、ちょっと残念です。 ゆくゆくは玉縄城が有名になって、もっと大規模に保存対象になるといいのになぁと思いました。
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Reviews of Tamanawa Castlesite

3.2
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5.0
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別名 甘縄城 城の型式 平山城

・江戸時代以前… 永正9年(1512年)伊勢盛時こと、北条早雲公により築かれた城で、元々は砦だったものを本格的な戦闘用の城郭に改修された城。当時小田原城の主だった大森氏から早雲公が小田原城を奪い取ると、鎌倉や武蔵国(現在の東京都、埼玉県の一部、神奈川県の一部)の国守だった扇谷上杉家(おうぎがやつ・うえすぎ)や三浦義同(よしあつ)への備えとして小田原城に到達出来ないように、玉縄城で抑える最重要的な役割を持っていました。 三浦氏が滅亡後も、安房(現在の千葉県の下半分)里見家の備えとして、さらなる強化が施される。

玉縄城は、早雲公の子氏時、小田原の北条氏綱の子為昌、綱成、氏繁、氏舜(うじきよ)と4代に渡り継承されます。

玉縄城は「堅城」として名を馳せていて、安房里見の里見義豊を始めとする安房里見家を代表する猛将、勇将に何度も攻められますが防ぎきります。

また戦国時代最強クラスの大名の越後の龍こと軍神上杉輝虎(謙信)公本隊や、甲斐の虎こと武田晴信(信玄)公本隊の猛攻を何度も防ぎ、ついには攻略を諦めさせるに成功しました。

天正18年(1590年)小田原征伐が開始させると玉縄城は、徳川家康公率いる徳川軍に包囲されます。北条氏舜と氏勝は籠城の構えをひきますが、龍寶寺の住職に説得に応じ降伏します。戦後、氏勝は家康公の家臣となり下総(現在の千葉県、埼玉県の一部)岩富に1万石を与えられます。氏勝の子氏重は3万石に加増され掛川藩に移封するも子が無かったため改易となるが、親戚筋が名蹟を継ぎ、旗本として再興する。

・玉縄藩立藩… 江戸時代に入り、玉縄には家康公の懐刀で側近中の側近の本多正信が1.2万石で入る。正信は江戸幕府初代老中首座に座り、江戸幕府中枢、憲政を握ります。正信の跡は息子の正純が継ぎ玉縄藩から下野(現在の栃木県)小山3.3万石に加増、さらに下野宇都宮藩15.5万石に大幅に加増し、やはり幕府老中に座りますが、宇都宮城釣り天井事件で失脚し改易処分となり、身柄は久保田藩の佐竹家に預けられます。

その後、本多正信系本多家は正純の嫡男正好(まさよし)が継ぎ本多姓から和田姓に改名し4500石を領し再興する。代々代官職を世襲する。

一方正純の次男正之は3000石を領する旗本となり駿府城城番、御使番(御使番…幕府の役人の監察、大奥と幕府を繋ぐ役回り)、遠国奉行(…幕府天領の支配を行う。旗本でありながら10万石の大名と同等の扱いになる)、御三卿付家老を歴任する。明治に入ると没落してしまう。

本多正純に替わり、水野忠守が3万石で入部する。嫡男忠元は徳川家第2代将軍徳川秀忠公に仕え下総小川藩3万石で移封する。その後水野家は、三河(現在の愛知県)岡崎藩5万石→肥前(現在の長崎県)唐津6万石→25.5万石。天保年間に水野忠邦が10万石幕府に返上し、遠江(現在の静岡県)浜松藩15.5万石で老中首座に座り、天保の改革をするも失敗し失脚。→5万石に大減封され出羽(現在の秋田県、山形県)山形藩に移封する。

水野忠守に替わり、長沢松平家の松平正綱が2.2万石で入る。水野家時代に一国一城令が発布され、玉縄城も破却されてしまったため旧玉縄城南側の麓に玉縄陣屋を作り政務を行う。3代正久が上総(現在の千葉県)大多喜藩に2万石で移封し、玉縄藩は廃藩となる。

寛政4年(1792年)陸奥(現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県)白河藩主で老中首座の松平定信が海岸防衛のため玉縄藩再興を幕府に進言するも却下される。

アクセス JR東海道本線、横須賀線、京浜東北...

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初めての玉縄城散策で悩んだのが駐車場でした、龍寶寺の駐車場に駐車する事を考えましたが、駐車可能か分からなかったので、某大手ホームセンターの駐車場に駐車する事にしました!(入場後90分無料、お買い上げでさらに90分無料、追加料金60分330円) そこから徒歩でブラブラと龍寶寺へ向かい境内に有る、玉縄ふるさと館、旧石井住宅を見学、神風特別攻撃隊至誠隊隊長として戦死した團野少佐の辞世の句の石碑を拝見し悲惨な戦争を心に刻み、更に調べると、太平洋戦争中、米兵から情報を聞き出す過酷な尋問所である、大船収容所が北条氏の菩提寺の龍寶寺門前に有ったという悲惨な現実を垣間見て、玉縄城の知識を頭に詰め込みいざ城攻めに出陣えいえいおー! 小坂家長屋門〜七曲坂の登り口の冠木門を潜り七曲坂をてくてく登ると途中に七曲坂武者だまり跡が有ります、ベンチに座り景色を見て、さらにてくてく登り坂の上に到着そして、左に入る小道に入ると、太鼓櫓跡へまた元の道に戻り、大手門跡、城址の石碑、(階段で上がった所に有ります!)ふわん坂を通り(ふわん坂の入口は分かりにくく、城宿の中程、石原工務店さんの事務所?作業場?の間の道を入ってください!)某大手ホームセンター駐車場へ帰って来ました、見学時間はゆっくり散策で約120位でした!...

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北条早雲が築いた戦国の城、玉縄城に行ってきました。 こちらのお城はあまり知らなかったのですが、信長の野望というゲームをやっていると神奈川県は小田原城と玉縄城がでてきて興味を持ちました。 行ってみると本丸のあった場所やその他大部分は学校の敷地となっていました。 許可を取ると学校内に入れるそうですが、今回はそこまではせず、周りを見学します。

大手門跡にはイメージ図と説明がありました。 そこからすぐ近くに太鼓櫓跡があります。 こちらが普通に見れる最も良い場所でしょうか。 上った先の景色もよく、住宅地に囲まれていますが、なんとか残してもらっている感じです。 その横には、しっかりと整備された通路があり、少し進むと階段になっています。 こちらが七曲坂武者だまり跡だそうです。 この坂の中腹にある広場で武者が防衛拠点を築いていたとか。 上杉、武田、里見、徳川。名だたる大名が攻めあぐねたお城とのことですごいですね。 学校の中に入らない場合は見どころはこれくらいなので、ちょっと残念です。 ゆくゆくは玉縄城が有名になって、もっと大規模に保存対象になるとい...

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