小さな公園ですが、新町宿の石碑がありました。危うく見失うところでした。もっと目立つように配置してください。 群馬県高崎行政県税事務所発行の「中山道上州七宿めぐり散策図」によれば、中山道は五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ主要街道で木曽街道とも言われていたとのこと。 上野国(現在の群馬県)には全六十九宿のうち新町、倉賀野、高崎、板鼻、安中、松井田、坂本の七宿があった。 このうち新町宿は承応三年(1654年)に新たに公認された宿場である。 本陣もこの辺にあったのかもしれない。 新町宿は江戸から十一番目の宿場。本庄宿と倉賀野宿間は、元々、玉村の地を経由するルートだったが加賀藩前田家が新道を開拓し、 新しい宿場として整備された。 地名は中山道の中で最も遅く成立した新しい町ということに由来するらしい。 人口1437人、総家数407軒、本陣2軒 ...
Read more土面や遊具は無く、ベンチと円錐っぽい屋根のあずまやがあります。街歩きの休憩用? 南側の道路(旧中仙道)に〝サイクリングロード・ネットワーク〟という案内板が、旧中仙道は片側1車線で交通量もありますが、サイクリング推奨道路?車道端に自転車走行案内が描いてありますが、車道が狭すぎ、自転車乗りに命わを賭けさせる案内にしか見えません(笑) 高崎方向に400mほど行くと、高崎伊勢崎自転...
Read more明治天皇が宿泊された建物でいまだにあります。 今は雛人形の段飾り(各地から寄贈されたお雛様🎎)が飾ってあります。日曜日は地元の野菜や 手作りお弁当 お汁粉 吊るし雛人形等 無料のコ―ンス―プも振る舞われて...
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