This temple was a quiet and peaceful retreat from the bustle of daily life. I was surprised that there were hardly any travelers. From the moment I entered, I was struck by the detailed craftsmanship, especially the massive gate roof, which showcased intricate woodwork and timeworn beauty. A truly serene place that honors tradition while offering a calm space...
Read more蛸地蔵菩薩縁起 本尊は延命地蔵菩薩にして昔聖地に祀られていたが戦国時代に堂宇が焼き払われて尊像は海中に投げ込まれた。 建武年中、和田和泉守が岸和田に在城の折、大きな津波が起こり、人家は水浸しとなった。 然し水が引いた後、家々には大した被害も無かった。人々が不思議に思って海岸に出てみると、一木像が蛸に取り囲まれて揚がっていた。 それは地蔵菩薩の尊像であった。これこそ岸和田の守り本尊である、として一時お城にお祀りしたが、世の中が未だ全く治まっておらず、尊像にもしも危害を加えるようなことがあっては勿体無い、として城の濠の中に入れてしまった。 時は過ぎ、天正年間、松浦肥前守が城主であった時、紀州・根来の勢が岸和田に攻め寄せてきた事があった。紀州の多勢に対して無勢の岸和田、忽ちにして危うくなった。その時に一人の白法師が現れて敵中に躍り込み散々に相手を悩ましたが、ちょうどその時、無数の蛸も現れて毒気を相手に吹き込んだので、相手の軍勢も退却してしまった。しかし、相手方には殺害されたものは無かった、との事である。 戦が終わって城主が白法師を探させたが、少しも判らない。ある夜、白法師が城主の夢枕に立ち、地蔵菩薩の化身である、と告げられたので早速古老の言い伝えをたよりに濠の中を探したところ地蔵菩薩像が現れた。これを洗浄して城中に別殿を造り、お祀りし、十七日の間、一般人にも開放して参詣を許した。 それより後、文禄年間の時、小出播磨守が城主であった頃、一般衆生に接する機会を多くして菩薩の利益を一人でも多くこうむる様にした方が良いとの意見が出て尊像を場外に遷すことになった。そこで天性寺泰山和尚の懇望もあり、現在の地...
Read moreA quiet temple near to Kishiwada castle. Rich in historical significance. Though not a well known detail, they hand draw their goshuins meticulously. The office is to the left of the...
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