⭕2025/01/04 何時も正月のお参りは三ヶ日と決めていたのに今年は年末から風邪、お参りは今日に成りました。 「おーい今年も来たか」の声は 無いだろう、今日は4日やからな ?でも私は楠木の大木の下を見る。 小学校を帰ると毎日、毎日境内て悪さばかり、宮司さん始め皆さんは怒らない笑って居るだけ…。 本当に迷惑ばかり、我々も先輩も後輩も長田神社で育てられた、 帰りにあいつの所に行ってみよう …そうや追儺式には会えるわ。 … … … … … 神社にお参り頂く皆さんやスタッフと皆さん今年の風邪はきついですよ十分気をつけて下さい。
⭕2024/06/05 1ヶ月ぶりにお参りさせて頂き ました。 この時期学校から帰ったら境内 に集まりボール遊びや走り回り、暑くなると楠木の木陰で休む、そんな毎日を過ごしてました。 北区に移転後は余り寄れなく成ったが、お参りする事に境内であの頃の友だちを探してます。 今日は境内であの頃の私達かと思うグループに会いました、何か涙が出て来ました。 「🙇💦💦‼️あの頃は迷惑ばかり、ごめんなさい」
⭕2024/02/03 今日は節分で13時にお参りしましたがもう沢山の方々がお参りしておられ、追儺式が行われる拜殿の前は溢れんばかりの人でした。 昨日から須磨の海で身を清められた鬼が現れると拍手とシャッタ ーの音に包まれました。 私は...
Read more霜月3日の良く晴れた七五三日和にお招きいただきました。街中の雑踏に囲まれた神社は苦手なのですがお招きいただきましたので参拝しました。 七五三の御祈祷もあるのか境内前の敷地に自動車を駐車することができました。そこには樹齢が古く兵庫県の木でもある大きなクスノキが出迎えてくれます。2本が根で融合したとても珍しく、大きく広がっているので圧巻です。
境内は広く秋の青空に入母屋破風造の立派な拝殿の朱と屋根の緑が映えました。また七五三の御祈祷の祝詞も響きも心地よく、柔らかく優しに包まれているような心地がしました。先の戦争でも戦災を免れ、神戸の震災でも倒壊しなかった本殿は流造で外削ぎの立派な千木と4本の鰹木があり、街中では珍しい鉄筋ではない従来の姿を残した貴重な姿を残しています。
御祭神は、大国主命の子息である事代主神で國譲りで建御雷之男神に降参し、海に身を投げ七福神の恵比寿さんになった神です。國家鎮護、言霊鎮魂の神であり境内が心地よく護られている心地がしたのもうなずけます。 境内には数多くの摂社が奉られており、天照皇大神社、月読社、出雲社、八幡社、松尾社、蛭子社で天照大御神、月読神、大国主、応神天皇、大山咋神、蛭子神など様々で力を頂けます。出雲社は特に親子であり恵比寿さんと大国さんの象が大きなクスノキの前にあり和やかさを感じます。
最もパワーを感じられるのが楠宮稲荷社(宇迦之御霊)です。拝殿を一周することができるのですが、本殿に御神木の大きく立派なクスノキが天に向かって守護しています。ちょうど永田神社本殿の真後ろであり、 この楠宮稲荷社とクスノキが御神体であるの様な力を感じます。痔病平癒の赤えい絵馬のイラストが珍しくもありユニークですが、本当にパワースポットだと思います。
街中ですが雑踏は感じられず、和やかな雰囲気ですが多くの神々が奉られパワースポット...
Read more式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。 廣田神社・生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社とされる。
資料によると、 『日本書紀』によると、神功皇后摂政元年(201年)2月、神功皇后が三韓征服後、新羅から難波に帰還する途中、武庫の水門(現在の駒ケ林あたりといわれる)で船が進まなくなったので占ったところ、事代主の神より「吾を長田国に祀れ」と神託を受け、創祀されたという。この由緒から、平成13年(2001年)には鎮座1800年を祝った。太古から長田神社と呼ばれていたが、長田社・長田宮・長田大明神・摂津本宮長田大明神とも呼ばれていた。
延喜式神名帳では名神大社、更に祈雨八十五座に列され、社に奉祀する神戸(かんべ)41戸によって護持されていた(『新抄格勅符抄』)。現在まで続く「神戸(こうべ)」の地名は、この神戸職に由来している。
かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていた。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があった。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習があった。現在は境内には鳩が放されている。 とあります。
・主祭神 -...
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