9.桑名・熱田・名古屋
【芭蕉自筆影印】 ①野ざらし紀行文 桑名本統寺にて
冬牡丹千鳥よ雪能本とゝきす
草の枕尓寝あきて ま多ほのくらきうちに 濱の可多に出て
明本のやしら魚志路きこと一寸
熟田に詣
社頭大イニ破れ 築地盤多ふれ? 草村尓可くる 可しこ尓縄を者りて 小社の跡を志るし 爰耳石をすえて 其神と名のる よもき しのふ 古ゝろ能まゝに生多る楚 中ゝ尓めて多きよりも 心とゝまりける
志のふさへ枯て餅かふやとり哉
名護屋尓入道の程 風吟ス
狂句木枯能身ハ竹斎尓似多る哉
草枕犬も時雨ゝ可よる能こゑ
雪見尓あ里きて
市人與此笠うらふ雪能傘
旅人をみる
馬をさへな可むる雪能朝哉
海辺尓日暮して
海く禮て鴨のこゑ本の可に白し
(桑名本統寺にて
冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす
草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て、
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
熟田に詣
社頭大イニ破れ、築地はたふれ? 草村にかくる。かしこに縄をはりて、小社の跡をしるし、爰に石をすえて、其神と名のる。よもぎ、しのぶ、こゝろのままに生たるぞ、中ゝにめでたきよりも、心とヾまりける。
しのぶさへ枯て餅かふやどり哉
名護屋に入道の程、風吟す。
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
草枕犬も時雨ゝかよるのこえ
雪見にありきて
市人よ此笠うらふ雪の傘
旅人をみる
馬をさへながむる雪の朝哉
海辺に日暮して
海くれて鴨のこえほのかに白し )
【句碑】
①本当寺(本統寺) 桑名市北寺町47
冬牡丹千鳥与雪能ほ登ゝ幾須 (冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす)

②龍福寺 桑名市地蔵455

雪薄し白魚志路き事一寸 (雪薄し白魚しろき事一寸)

③龍福寺
明本乃やしら魚白き事一寸 (明ぼのやしら魚白き事一寸)
「自筆『明ぼのや』発句短冊を拡大」

④蕉風発祥之地 名古屋市中区錦3 久屋大通TV塔東北角脚

狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉

⑤詠地付近になし
(しのぶさへ枯て餅買ふやどり哉)
⑥詠地付近になし
(草枕犬も時雨るか夜の声)
別市町村 大崎市・観水寺跡観音堂
⑦詠地付近になし
(市人よ此笠売らう雪の傘)
⑧詠地付近になし
(馬をさへながむる雪の朝哉)(詠) 別市町村 長野・軽井沢
⑨詠地付近になし
(海暮れて鴨の声ほのかに白し) 別市町村 愛知・半田市 尾張三社
《施設・句碑拡大写真はgoogle...
Read more桑名別院、あるいは御坊さんとも呼ばれる真宗大谷派の地域統括本部的な寺院です。 石山合戦の時代から一向一揆の拠点とされ、合戦の収束後に寺院として整備されました。第二次世界大戦時の空襲により近世期の伽藍は失われていて、寺格にふさわしい規模で復興されているものの如何せん面白みに欠けます。檀家さんのための寺院であり、観光客にも公開されているのは境内の半分ほどでしかありません。石山合戦にからめての解説があったりもしません。地元の方々にはよいお寺なのでしょうが、観光地として...
Read more真宗大谷派の別院です。徳川家康による本願寺の東西分派で大谷派に属し、現在は三重教区の教務書が置かれる三重県内の大谷派の中心寺院です。 江戸時代には八棟屋根の巨大な本堂でしたが、太平洋戦争中の空襲で灰塵に帰しました。現在の本堂は戦後に京都の寺院を譲り受けたもの、庫裏は海津の豪農の江戸時代の邸宅を...
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