京都府庁から、二条城に向かい歩いてると、左手にあります。 厄除けの八幡宮、この八幡社を御所八幡宮と呼ぶのは、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒によってであり、尊氏の法名によって等持寺八幡とも、また高倉八幡とも呼ばれて親しまれてきた。特に安産と幼児の守り神として有名で、三宅八幡とならんで「むし八幡」と呼ばれて世間の信仰を集めている。 中京区高倉通御池東亀甲屋町 応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)神の三神を祭神とする。もと御池堺町西南角御所八幡町にあったが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によってこの地に移転し御所八幡宮社は高倉御池の東南角にあり、決して大きいとは言えないお宮であります。しかし、かつては境内(けいだい)も広く子供が凧(たこ)揚(あ)げをして遊んだと言います。その頃を懐かしむ人は、まだ沢山(たくさん)居(お)られます。更に昔へ遡(さかのぼ)ると、もっと大きくて立派な神社でありました。そもそも、御所八幡宮はいつ頃から在ったのでしょうか。何故“八幡宮”なのでしょうか。又、何故“御所”の名が付くのでしょうか。そんな素朴な疑問に答えるべく歴史を紐(ひも)解(と)いてみたいと思います。
私達が住まいするこの地域は、平安京時代なら左京三條の三坊(さんぼう)から四(し)坊(ぼう)辺(あた)りになります。内(だい)裏(り)や里(さと)内裏があって公(く)卿(ぎょう)の邸宅も沢山ありました。室町時代に到ると武家の邸宅に変わり、政治経済の中心地となって諸(しょ)商(しょう)の賑(にぎ)わいと共に繁栄を極め、栄(えい)華(が)を誇る文化に花が咲きます。しかし、京都を一変する大きな戦(せん)禍(か)に捲(ま)き込まれます。徹底的に荒廃した京都は、都市の改造と共に徐々に復興し、町衆や商人が増えて活気溢(あふ)れる商業都市へと生れ変ります。その後の江戸時代の大火も凌(しの)ぎながら、近代から現代へと発展します。振り返ってみると名立たる邸宅も寺院も皆、我が街から消え失せてしまった中、御所八幡宮は変わりなくこの地に鎮座しています。境内は小さくなりましたが、これは稀(き)代...
Read more御池高倉交差点の南東角にあるのが「御所八幡宮(ごしょはちまんぐう)」になります。尊氏の戒名から等持院八幡宮と呼ばれる。その他に高倉八幡宮、御池の八幡さん、虫(むし)八幡とも呼ばれます。 御所八幡宮は、元々御池堺町の西南角にあったが、太平洋戦争中の強制疎開により当地に移された。 この八幡宮が御所八幡宮と呼ばれる由縁は、足利尊氏の自らの邸宅の守護神に勧請した事によるとのこと。御池通を挟んで北側に足利尊氏邸宅跡の石碑もあり由縁がよくわかる。
2025年9月再訪 この地にあった三条坊門万里小路邸に中院家が住していた。その邸宅内に祀っていたのが清水八幡宮から勧請した「若宮社」になる。二条内裏が焼失後に後宇多天皇が中院通成邸を仮の御所として行幸された。その際、邸宅内にあった社は、邸宅が御所になったことから「御所八幡宮」と呼ばれるようになった。 その後、室町幕府に初代将軍である足利尊氏が、自らの邸宅内の守護神として八幡神を勧請して、「御所八幡宮」を再興したとされています。
主祭神は、応神天皇、神功皇后、比売神になる。配祀として稲荷社「宇賀御魂神」を祀っています。
境内には、末社として一番本殿よりにある小さな社が菅原道真公を御祭神とする天満宮になります。天満宮前には、ところどころ石が剥がれた年代物の御神牛が鎮座しています。
朱色の小ぶりの鳥居の先に左右に社があります。 左側に3社合殿「金毘羅社」「大宮比賣社」「猿田彦社」がある。右側に初音稲荷社の提灯が掲げられた「初音稲荷社」があります。そして、一番端に「皇太子殿下・御成婚記念碑」石碑があります。
例祭の夏越の大祓神事は6月末、神幸祭は毎年9月15日前後に行われています。神輿渡御のお神輿が御池通りや周囲...
Read more旧社格は村社。 足利尊氏が勧請したとされる神社。 尊氏の戒名から等持院八幡宮と呼ばれる他、高倉八幡宮、御池の八幡さん、虫(むし)八幡とも呼ばれる。
資料によると、 この地にあった三条坊門万里小路邸に住していた中院家が祀っていた石清水八幡宮から勧請した若宮社がもとであるという。弘安元年(1278年)10月に二条内裏が焼失すると後宇多天皇が中院通成邸を仮の御所として行幸された。その際、邸にあった社は邸が御所になったことから御所八幡宮と呼ばれるようになったという。
この後、南北朝時代になり、室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、自らの邸内の守護神として八幡神を勧請し、御所八幡宮を再興したとされる。あるいは貞治6年(1367年)に大御所・足利尊氏が、自らの弟である足利直義の屋敷・三条坊門殿の跡地に八幡神を勧請して再興したともいう。
もともとは、御池堺町の西南角の御所八幡町にあったが、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月から始まった御池通の強制疎開によって南西側の現在地に移転した。
安産と幼児の守り神として有名で、左京区上高野の三宅八幡宮とならんで 「虫(むし)八幡」...
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