白峯神宮(しらみねじんぐう)は、京都市営地下鉄 今出川駅の西600mほどの京都市上京区飛鳥井町に鎮座している神社です。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社です。
保元元年(1156年)保元の乱に敗れて崇徳上皇(すとくじょうこう)は讃岐国に流され、長寛2年(1164年)その地で崩御しました。 その後、天変地異が相次いだことから崇徳上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(現・香川県坂出市)の隣に、上皇の菩提を弔う為に府中の木丸殿が移築され法華堂(現・頓証寺殿)として建立され、朝廷の命により以後、白峯寺による供養会が営まれるようになりました。 幕末の動乱期、121代 孝明天皇(こうめいてんのう)は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じ、慶応2年(1866年)に白峯宮の建設が始まりましたが、まもなく崩御しました。 その遺志を継いだ子の明治天皇は慶応4年(1868年)に白峯宮の創建を宣命し、勅使を白峯陵に送り上皇の命日の旧暦8月26日に宣旨を読みあげさせ、その翌日に即位しました。その勅使により同年旧暦9月6日上皇の御霊が讃岐国から京都に到着し、頓証寺殿(旧:法華堂)の本尊であった崇徳上皇僧形座像図を当宮に移し、翌日、明治天皇が親拝しました。なお、その翌日の旧暦9月8日に明治に改元されています。初代宮司には讃岐国白鳥神社の神職家の猪熊夏樹が就きました。 明治6年(1873年)藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路国に配流され、その地で崩御した「淳仁天皇(淡路廃帝)」の神霊を淡路島から迎えて合祀しました。
白峯神宮は和歌のほか蹴鞠の師範を務めた飛鳥井家が所有する土地(邸宅跡)に建てられています。 摂社の地主社に祀られる「精大明神(せいだいみょうじん)」は蹴鞠の守護神で、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。 毎年4月の「春季例大祭」と7月の「精大明神例祭」には、天下泰平・国家安泰・五穀豊穣を祈って、白峯神宮で蹴鞠保存会による蹴鞠が奉納されています。 スポーツにちなんだお守りが有名で、叶う輪(かなうわ)という縁起物があります。
『伴緒社(とものおしゃ)』は、境内社で、源為義・源為朝を祀り、武道・弓道上達の神として信仰されています。例祭...
Read more白峯神宮(しらみねじんぐう)。旧名白峯宮(しらみねぐう)。 旧社格は官幣大社。 配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。
資料によると、 白峯神宮は和歌のほか蹴鞠の師範を務めた飛鳥井家が所有する土地(邸宅跡)に建てられている。
摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られる。毎年4月の「春季例大祭」と7月の「精大明神例祭」には、天下泰平・国家安泰・五穀豊穣を祈って、白峯神宮で蹴鞠保存会による蹴鞠が奉納されている。 スポーツにちなんだお守りが有名で、叶う輪(かなうわ)という縁起物がある。
崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐国に流され、長寛2年(1164年)旧暦8月26日その地で崩御した。その後天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(現・香川県坂出市)の隣に、上皇の菩提を弔う為に府中の木丸殿が移築され法華堂(現・頓証寺殿)として建立された。また朝廷の命により以後、白峯寺による供養会が営まれるようになった。
時代は下って、幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じ、慶応2年(1866年)旧暦11月16日に白峯宮の建設が始まるが、まもなく崩御した。その遺志を継いだ子の明治天皇は慶応3年旧暦1月9日践祚、慶応4年(1868年)旧暦8月18日に白峯宮の創建を宣命し、勅使を白峯陵に送り上皇の命日の旧暦8月26日に宣旨を読みあげさせ、その翌日に即位した。その勅使により同年旧暦9月6日上皇の御霊が讃岐国から京都に到着し、頓証寺殿(旧:法華堂)の本尊であった崇徳上皇僧形座像図を当宮に移し、翌日、明治天皇が親拝した。なお、その翌日の旧暦9月8日に明治に改元されている。初代宮司には讃岐国白鳥神社の神職家の猪熊夏樹が就いた。
1873年(明治6年)、藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路国に配流され、その地で崩御した淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊を淡路島から迎えて合祀し、官幣中社とした。
1940年(昭和15年)8月1日に官幣大社に昇格し、神宮の号を許され白峯神宮と改称した。 とあります。
主祭...
Read moreWe were walking by and very fortunately encountered an archery demonstration in the grounds. Heavily ritualised procedure from being seated to firing was a pleasure to observe, and watch them split the wooden targets with great precision. Very lucky to have...
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