群馬県前橋市城東町、上毛電気鉄道上毛線/中央前橋駅出口から徒歩5分位にある「萩原朔太郎記念館」を観覧しました。
15時過ぎに観覧で他の観覧者は少しいましたがゆっくり観覧する事ができました。
「萩原朔太郎記念館」 前橋市北曲輪町69番地にあった生家のうち、土蔵は昭和49年(1974年)に敷島公園のバラ園内に移転、書斎を昭和53年(1978年)離れ座敷を昭和54年(1979年)にそれぞれ同地へと移築し、昭和55年(1980年)5月11日に記念館として一般公開していましたがこれらの建物を前橋文学館と広瀬川を挟んだ湖畔緑地へと移転復元し平成29年(2017年)4月8日から新たに公開しました。
「土蔵」 明治34年(1901年)頃に建てられたこの蔵は萩原家の守り神と言えるもので昭和20年(1945年)8月5日の空襲によって市街地の8割が消失した時には生家はこの土蔵により戦火を逃れたといいます。
「書斎」 生家の裏庭にあった物で元来は味噌蔵として使われていたものを書斎に改造したものです。 内部はセセッション式(西洋の建築・美術・工芸上の一様式)で統一され、当時としては先進的なものでした。 またこの部屋は音楽室とも呼ばれ、朔太郎はここで演奏会や集会を開きました。
「離れ座敷」 明治25年(1829年)頃に朔太郎の父密蔵によって建てられ、主に来客の接待に萩原家が使ったものです。 朔太郎が生家に住んでいた頃、北原白秋・若山牧水・室生犀星などが訪れ、この部屋に通われたといいます。 ※萩原朔太郎記念館HP参照
「萩原朔太郎」(1886〜1924年)詩人 明治19年(1886年)千代田町の医師の家に生まれ北原白秋に師事し、26歳のときに「みちゆき」他5編の詩に中央詩壇にデビュー。 大正6年(1917年)の第1詩集「月に吠える」で一躍全国に名を知らしめた。
「感想」 広瀬川沿いにある記念館となっており入館料は無料となっています。 記念館入口すぐに「書斎」がありよく見ると屋根の上には前橋出身の陶芸家、林麻依子さんが作成された猫のオブジェが2匹います。 猫の胴部と尾部に萩原朔太郎の詩「猫」のフレーズが彫られているようですが当然ながら見えるはずもありません。 続いて「離れ座敷」となっておりその前にも林麻依子さん作成の犬のオブジェがあり萩原朔太郎の詩集「月に吠える」を犬の形として作品化したもので表面に詩篇や序文から抜き出した言葉が刻まれています。 最後に「土蔵」となっており唯一中に入って見学する事ができました。
広瀬川を散歩中にたまたま出会えました。 こじんまりとした記念館ですが日本近代詩の父と呼ばれる大正時代に活躍した文豪を知ることとなりました。
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Read more【萩原朔太郎記念館】 萩原湖太郎(一八八六〜一九四二)は、一八八六(明治十九)年に前橋で生まれ、三十八歳までこの地で過ごしました。一九一七(大正六) 年刊行の第一詩集『月に吠える』と、一九二三(大正十二年刊行の詩集「青猫』によって日本近代詩史に不滅の金字塔を打ち立てました。 詩人の生家は、一九六八(昭和四十三)年まで前橋市千代田町二丁目にありました。往時の姿は左図に示したとおりですが、現在はポケットパークを残すのみとなっています。 生家の一部だった「土蔵」「離れ座敷」「書斎」を敷島公園ばら園内に移築復示し、一九八〇(昭和五十五)年より「萩原湖太郎記念館」として長く保存公開していましたが、敷島公園からこの地に移築し、二〇一七(平成二十九)年四月より同じく「萩原朔太郎記念館」として公開しています。 広瀬川を挟んで向かいに位置する前橋文学館の展示とともに、詩人の息遣いを感じ取っていただけたら幸いです。 記念館敷地内は禁煙です。 ■開館時間午前九時~午後五時 ■観覧料無料 ...
Read more萩原朔太郎の生家の一部が移築展示されてます。
書斎にアニメの様な絵のパネルも展示されてました。私は年寄りなので少し違和感を感じましたが、最近の流行りなのでしょう。
萩原朔太郎の詩は、さほど好きでは無いのですが若い頃読んでた漫画の登場人物が突然「月に吠える」の一編を叫ぶコマが有ったりして当時の作家や志望の中で人気が有ったと記憶してました。
二次創作ファンの方には、こういうパネルが楽しいのでしょうが、朔太郎の詩のファンで二次創作を知らない方の中には違和感を感じる私の様な人間もいる様な気がします。(蔵の中に展示してあった写真は趣があって好きです)
ただ気に成る人もいると思うので何という作品なのか、もっとわかりやすく紹介が有っても...
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