豆知識💡→『日本武尊が最後に奉納された神社』……これ以降、日本武尊が主宰神に奉納された神社は数多くあるが、本当の日本武尊ではない。 ①大和朝廷は、『草彅の剣と、それを渡した倭姫を妻として奉納させた』・・・だが、それは大和朝廷の戦略で、後に、日本武尊が所持していた三種の神器を全て強奪した後、武尊の父君を芥子の花の毒素を悪用して中毒にして息子の武尊を護れぬ状態にした。 ②更には、妻と偽って捧げられた倭姫(男性だった)にも見棄てられ、武尊だけに反旗を翻した大和朝廷は、赤楝蛇(ヤマカガシ)の毒を与えて弱らせて捕まえた日本武尊を、更に手酷く拷問に掛けて抹殺させようとしたが、その状態でありながらも栃木県まで驚くべき速さと体力で逃げ続けられた上に、終には崖まで追い詰めたが日本武尊が飛び降りた瞬間に白鷺(白朱鷺ですってww)に身を変えて更に逃げられてしまうし、山中湖付近でも討ち洩らしてしまった。 ③必死の捜索にも係わらず遺体の確保も出来なかったので、山中湖付近で見付けた人間を斬首して日本武尊と朝廷に偽り、事なきを得た。 ④後に、人々が日本武尊が死んだと気付かぬように、朝廷が操りやすい似た男を武尊本人として扱うが、身体能力は本人とは程遠く、精神面や勇猛さに於いても価値の無い行動を用いてしまい、当時の活躍を直視して来た人々からは、疑念の声が後を絶たなかった。「日本武尊は、強い猪を倒してやるなんて絶対言わない。様子を確認して放置する」「日本武尊の脚が曲がった?1日千里を飛び回った日本武尊の足はそんなに弱くない」 ⑤「弟橘姫もそうだが、日本武尊は一度も結婚しておらず、実際は、生涯独身(身体接触も無しw)だった。そうだ、倭姫は女装した男性だったし、史実にある他の妻は武尊の変わりに誂えた皇帝が、操りやすい似た男にその名を授けた全くの別人に嫁いだのであるww」 ⑥「日本武尊の本当の親は景行天皇ではなく、景行天皇の血の繋がった母違いの弟と、景行天皇とは血の繋がった実の妹(本人には秘密だった)が両親であり、近親相姦の末にようやっと無事に産まれた子供が、日本武尊だった(身体能力は遺伝子の崩れから来ていたようだ……)」 ⑦現在残っている日本武尊の草薙の剣の話以降の話は、殆どが大和朝廷の丁稚上げである。 ※これらの話は、『私が栃木県の、白鳥神社を参拝していた際に・日本武尊本人の御霊(みたま)に、直接、茶を飲みながら御指南頂いた話で御座います』…………聴いた限りでは、「今ある史実には全くもって神社にも伝われ無い」話。……初耳かも知れませんが、→『日本武尊が大量の矢で射抜かれながらも力尽きて不時着した山中湖の湖畔にて息絶え絶えになりながら、自らの遺体が大和朝廷に渡る事を恐れた日本武尊は、自身の身を浸している湖に毒素を与え続け、人を寄せ付けぬようにした。「(…せめて、自分の遺体が大和朝廷に渡らぬように……)」』 この話が伝わっていないのが、真実をねじ曲げ、時代の覇者になった大和朝廷の御都合主義………で、あったのでしょう。いつの時代にもよくある話ですよね。身も蓋もありませんが、→『身の無い魂には、ちゃんとした蓋...
Read moreVery cool shrine in Mito. Quite famous and always crowded for New Years. Very well kept grounds. About a 15 minute walk from the South side of Mito Station. Each season has different flowers. Good place to take photos. Check it out if you visit Mito. There are numerous other smaller...
Read more常陸第三宮(ひたちだいさんのみや)吉田神社は、茨城県水戸市に鎮座しており、水戸市内で最高の社格を持つ神社として知られています。 御祭神: 日本武尊(やまとたけるのみこと) 所在地: 茨城県水戸市宮内町3193-2 創建: 吉田神社所蔵の古文書によると、正安4年(1301年)の時点で創建以来800余年を経過していたとされており、西暦500年前後、顕宗天皇(485年)と仁賢天皇(498年)の御代の間に遡ると推定される、非常に歴史ある神社です。 日本武尊を祀る神社の中では全国的にも最も古い歴史を持つとされています。 由緒: 日本武尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地「朝日山」に留めて憩わせた故事にちなんで、この地に神社が創建され、日本武尊が奉祀されたと伝えられています。 日本武尊が休憩したとされる場所は、現在も「三角山」と称され、境内見晴台の一角に神聖な場所として残されています。 また、この時、日本武尊が湿地帯を見て「この辺りを開墾すれば吉き田に成るであろう」と仰せられたとの伝承があり、これが「吉田」という地名の発祥になったと言われています。 社格: 鹿島神宮(常陸一宮)、静神社(常陸二宮)に次ぐ常陸第三宮として、古くから厚い信仰を集めてきました。 徳川光圀との関わり: 水戸藩主の徳川光圀も深く尊崇し、本殿や拝殿などの造営を行いました。 境内には徳川光圀が手ずから植えたと伝わる「縁結びの笹(篠)」があり、利き腕と反対の手で結ぶことができれば良縁に恵まれるというパワースポットとしても有名です。 御神徳:...
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