ご本尊の十一面観音の御開帳にお参りに行きました。 JR長岡京から徒歩10分ぐらいです。 ちょうどお経を唱えておられる最中でしたので本堂の入口で待っていたのですが、お寺の方が冷たいお茶をくださいました。ありがとうございました。 ご住職のお話のあと本堂に入りましたが仏像もりもりです。 ご本尊の秘仏 十一面観音は頭上面がなく、割りと小さめの仏像でしたが、微笑んでいるような表情のとても優しそうな観音様です。両隣に「コ」の字にならんで3人見つめ合うように2体の観音様がいらっしゃいました。片方は十一面、もう片方は宝冠をかぶった観音様でした。 観音様3体の両脇には持国天と多聞天。他にも色々な仏像がありましたが、向かって右端に金ぴかの毘沙門天がおられました。桃山時代の作と書いてありましたが、むちゃくちゃ男前です。 東大寺...
Read more京都の勝竜寺(勝竜寺城)は明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)が細川忠興と結婚し、新婚生活を送った場所として知られています。また、本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた光秀が最後の夜を過ごした場所でもあります。勝竜寺城は、光秀とガラシャにとって特別な場所であり、歴史上重要な役割を果たした場所として知られています。 詳細 ⦿細川ガラシャの嫁入り 1578年(天正6年)、明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)は細川藤孝の嫡男・忠興と勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚生活を送りました。 ⦿明智光秀の最後 1582年(天正10年)本能寺の変後、山崎の戦いで敗れた明智光秀は、勝龍寺城に逃げ込み、最後の夜を過ごしました。 ⦿勝龍寺城の改修 1571年(元亀2年)織田信長の命により 細川藤孝が勝龍寺城を改修し、当時の最先端の城郭として知られました。 その他 勝龍寺城は、細川藤孝の居城としても知られており、山崎の合戦では、明智光秀...
Read more21年1月31日に訪れました。
唐長安から帰国した空海が学んだ青龍寺の名をとって創建しました。
その後大干ばつ、大飢饉の際に雨乞いを行い、雨が降ったため、龍神に勝ったという意味で「勝龍寺」と改名されました。
境内にある梵鐘は三代目です。 元応元年(1319年)に鋳造された初代梵鐘は大坂の陣の際に持ち出され、その後転々とし、現在は大阪能勢町の真如寺に残り、大阪府の指定文化財となっています。
副住職の奥さんでペーパーアーティストKAMIKOさんの切り絵デザインの限定御朱印が人気となっているそうです。
毎月1日・15日に「梵字切り絵御朱印作り」が開催されています。
今回「麒麟がくる」放映中限定御朱印をい...
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