継之助唯一の著書とも言える、青春時代の西国旅日記「塵壺」を詳細に展示してるのは流石だと思った。その人物像については多くの方々が語りつくしている所だと思いますが、彼が何を感じ考え行動したのか?その息遣いを感じ取れる貴重なヒントだと思う。違う評価があるのは解ります。それは展示を見て個々人が何かを感じて下さいねと。でもここでは此処の記念館では語られてない、単なる私の感想を述べるのをお許し下さい。
私と私の祖先は越後とはなんの縁もゆかりもない備中国の人間なのですが、なんとなく越後にはシンパシーを感じていて、というのも越後の雄、良寛さんと継之助が長らく備中に滞在して足跡を残しているのを知っているからです。良寛さんの師である国仙和尚も継之助の師である山田方谷も、日々の生活で感じる、人としての感情や感覚を原点にしなさいってな教えは共通してると思います。 そもそも何故に継之助が辺鄙な備中松山まで旅したのかは、彼が一種の革命思想と目されていた陽明学へ傾倒していたことだと理解しています。陽明学は形骸化著しい旧来のエリート教育体系である朱子学に対するカウンターとして、まるで秘密の奥義ように語られていた部分があって、その界隈で必ず名前が出てくるのが、その筋のヤベェ人物と噂される山田方谷だった。当時の山田方谷率いる備中松山藩は、身分制度が崩壊したまるで株式会社備中松山といった感じの様相、領内に入ると雰囲気も一変したと言う。 青臭い革命思想に燃えて先走る様な者は陽明学を理解する事は出来ない。理を行動に移しながらも人の良心に立ち返る。多くの腐敗が見えて理に猛進しがちであったであろう継之助にとって、鼻っ柱をへし折られたというか目から鱗というか穏やかな心を得たというか、トップリーダーとしての器が一回りでかくなった西国遊学であったと察します。今現在繰り広げられている低レベルな改革とは違い、継之助の陽明学への深い理解があってこその長岡藩政改革だと思います。 ただそれ以上に継之助は侍だった。継之助を評して「最後の侍」というのはその後の悲劇と日本の将来の行く末をよく表現していると思います。備中松山藩は藩主板倉勝静が老中首座まで登りつめていた事もあり、長岡藩同様に方谷の勝静への再三の忠告空しく、新政府側の岡山藩に賊軍として討伐の命が出された。しかし松山藩内の領民は長い時間をかけて訓練された方谷に絶対的信頼と忠誠を誓う近代兵法を心得た兵隊達でもあった。方谷に何かあれば領民たちは黙っちゃいないだろう。松山藩が長岡の様に戦禍に見舞われなかったのは、ゲリラ戦に持ち込まれれば確実に負けてしまうと岡山藩は悟っていたからだと言う。 継之助にとっても長岡にとっても日本にとっても、もう少し時間が有ったならと思うのです。方谷だって今でいうネットの中傷コメントみたいな彼を陰でdisる文章が松山藩には残ってて、最初から信頼されていた訳でない。運命の悪戯。悲劇は余りに速いスピードで時代が変化していった事だと思うのです。長岡のトップリーダーとして継之助は誰よりも領民の事を想っていた。理に走った新政府に対して、理と人間の持つ尊厳と美意識の両立を目指した継之助。今現在、玉虫色の日本のリーダー達と比して継之助が悲しさの中でもひと際に美しく見える...
Read moreI came here as part of the Boshin War stamp rally. It’s interesting to learn about this strict but just person. Visit the other nearby museum to learn how the Boshin War affected a person who played a critical role in World War 2. The staff are friendly and they have...
Read moreこれまでずっと「つぐのすけ」と読んで来たが、地元では「つぎのすけ」と読んでいるそうです。
小さいながらも見応えのある施設でした。司馬遼太郎の「峠」で作られた河井継之助ではなく、地元評価では功罪相半ばする存在というか。それゆえに墓石があれだけ傷つけられている理由も少し理解できた気がします。 優秀であるがために独善的であったかもしれない、だが藩は他に頼る人物を持たず、非戦交渉の全権を継之助に与えるもその結果は故郷を焦土と化すことになってしまった。 憎むべきは官軍ながらも、責任の一端は継之助にありと責められたのかもしれません。優秀な人ほど哀愁を帯びる時代だったと感じます。 ここ長岡では継之助を英雄視せず否定的な声も聞くことができました。龍馬に否定的な声を絶対に許さない高知とは大違い。 高知では龍馬ファンである小生でもウンザリさせられますが、長岡は良いところです。
土佐、松山、鹿児島、そして長岡、司馬遼太郎は偉大な小説家だとは思うが、虚実を取り混ぜる功罪もまた偉...
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