山号を紫金山、院号を小松院、ご本尊を不動明王とする真言宗泉涌寺派の大本山で、平重盛が宋の禅師・育王山仏照の高徳を聞き、黄金3000両を献上して結縁を求め、1178年に創建したことが平家物語巻三『金渡』に見られ、源義朝の念持仏・如意輪観音と宋からの仏舎利を安置し、壮大な伽藍を設け、源平合戦で亡くなった源平の戦死者を怨親平等に弔うために創建したと伝わり、このため、重盛の別称・小松内府に由来する院号を名乗っている。その後、いつの頃からか不動明王を安置するようになり、『厄除たなべ不動尊』と呼ばれるようになった。1571年、信長の焼き討ちを受けたが、このとき、国指定重要文化財の『絹本著色不動明王二童子像』や大阪府指定有形文化財の『銅造蔵王権現立像』は焼失を免れ、1585年には復興した。1711年には野中寺から洪善普摂が晋山し、律院として本格的に復興がはじまり、紀伊の雑賀家の尽力で宇陀松山藩織田家から移築された山門、本堂が残されている。1996年には三重塔が落慶し、『平成の三重宝塔』と呼ばれている。また、境内には樹齢750年のクスノキがあり、大阪府の天然記念物に指定されている。近畿三十六不動尊霊場3番札所、おおさか十三仏霊場1番札所、摂津国八十八箇所40番札所、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道47番札所。 また、境内には『なにわの伝統野菜』のひとつ・たなべ大根の碑(2003年設置)があり、このあたりは縦長の『横門大根』の中心的な産地だったことを顕彰している。また例年12月28日の『しまい不動』でこの大根を炊いて、近江の赤こんにゃくとともに紅白の煮物を振舞っているそうだ。 23/12/13、近畿三十六不動尊の巡礼として参拝した。天然記念物のクスノキはほとんど損傷のない立派な大木だったが、信長の焼き討ちも見ていたんだろうなあ。平日にもかかわらず、多くの参拝者が参...
Read moreBEAUTIFUL PEACEFUL PLACE WITH A NEARLY 1000 YEAR OLD TREE 🌳 THAT IS STRIKINGLY MAGNIFICENT. FOUND THIS TEMPLE BY ACCIDENT. THE TEMPLE HAS BEEN LOOKED AFTER FOR MANY GENERATIONS...
Read more近畿三十六不動尊霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗泉涌寺派の別格本山のお寺で、紫金山小松院法楽寺といい不動尊霊場第三番札所になります、御本尊は大日大聖不動明王で別称で田辺の不動様と呼ばれています。 伝承によれば源平の戦乱で戦死した源氏と平家の霊を怨親平等に弔うために源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し壮麗な伽藍が営まれたことが起源とされる。 山号の紫金山は治承二年(1178年)仏教の信仰に篤かった平重盛が宋の禅師育王山仏照の高徳を聞き、黄金三千両を献上し結縁を求めたとの伝えによりますが仏照は重盛の仏法への志に感嘆し育王山伝来の紫金の仏舎利二顆を送ったという、また院号の小松院は平重盛の別称が小松内府と称されていたことにちんでいます。 元亀二年(1571年)織田信長の侵攻による兵火により伽藍は灰燼に帰しましたが天正十三年(1585年)にはひとまず復興しました、正徳元年(1711年)に野中寺から洪善普摂が普山して、律院として本格的に復興が行われお堂は紀伊国の雑賀家の尽力により大和国宇陀の松山藩織田氏の殿舎が移築されました、現在に至るまで山門・本堂として残されている。 本堂内陣に木造不動明王立像と二童子立像(矜羯羅童子・制多迦童子)が安置されています、また境内に石像の水かけ不動明王...
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