写真の撮影日時は2025.10.10(金)07:56。蘆花淺水莊と聞いて、恥ずかしい話だが、小説家の徳冨蘆花を想像していた。少し調べると蘆花淺水荘は画家山元春挙の(元)別荘地だとわかった。しかし、山元春挙と徳冨蘆花は生没年がとても近い。没年齢も春挙が61歳、蘆花が58歳である。また、記恩寺はこちらの別荘跡地を管理していると思われるが、拝観に関しては是非事前に然るべき時間帯にお問い合わせ願いたい。宗派は曹洞宗のようである。というのも山元春挙は禅に傾倒して若いころから参禅し、禅に関する新刊本は残らず買い集めてすべて読破するような人であったらしい。本業の日本画のみならず、写真・狂歌・登山など色々なことに精力的に取り組んだ。また、“勘違い”の徳冨蘆花は熊本県水俣市に生まれ、東京で没したが、兄に徳富蘇峰がいる。蘆花の墓所は蘆花恒春園という公園の中にあるが、これは蘆花の住まいを遺族が所在地である東京都世田谷区に寄贈したもので、蘆花とその妻の墓石の刻字は兄・徳冨蘇峰によるものである。また、徳冨蘆花は熱心なキリスト教信者であった。以下に山元春挙、徳冨蘆花の基本データを挙げる。また、今から3年前の令和4(2022)生誕より150年を記念して滋賀県立美術館にて企画展が催された。そのポスターの画像も併せて掲載する。参考として Wikipedia...
Read more東の大観、西の春挙と言われた日本画家山元春挙の旧居。その意匠を尽くした数寄屋造りの邸宅は重文指定。作庭は岸和田の五風荘庭園などを手掛け、時代に名をはせた本位政五郎だそう。実際その設えの驚嘆余りある邸宅も素晴らしいが、やはり庭園と合致した一個の勝地としてなお完璧かと。 個人的には枝折り戸を抜けた路地風の庭園の、その色使いの鮮やかな、きらきらとして目なじりが下がるほど可愛らしい佇まいがひときわ興。山一つ越しただけとはいえ、長浜の大通寺庭園や琵琶湖東南岸の諸庭園などを併せて見ると京都と異なる滋賀の美意識の発露を、さらに言えば滋賀ナショナリズムすら感じられるというものであり、それは歴史的に文化の超大国に隣接対峙し、その文化の粋を取り入れては独自に発展させてきたどこかの国の有りようを彷彿とさせるものがある。実際、この蘆花浅水荘という名前も唐代の詩人、司空曙の詩である [江村即事]...
Read more日本画家・山元春挙が大正時代に故郷に建てた別荘兼アトリエが重要文化財となって往時のままで今も大切に残されている。多才で趣味人であったらしい春挙が自ら設計したとあって、随所に風雅を感じる楽しい仕掛けが盛りだくさん!。ぜひ、実際に内部を観てみることをおすすめします。3日前までに電話連絡して予定が合えば見学を...
Read more