写真の撮影日時は2025.09.26(金)06:53~07:18。09.26は“彼岸明け”にて無事に有縁の故人の供養を終えたのでその御礼と、戦国武将“風”に武運長久を祈るためこちらを訪れた。本殿脇に“新羅社”がありお参りしたついでについつい本殿奥に入る。白川社・多賀社・天満宮の鈴の音色が微妙に異なっているのが印象的だった。 八幡神は古くから八幡大菩薩とも呼ばれ、神仏和合の色合いが濃いが、わたしが以前少しだけ在籍していた日蓮宗でも八幡大菩薩は非常に重要な位置を占める。日蓮が本尊とした曼陀羅(真ん中に“南無妙法蓮華経”の題目を記し、周囲に諸天善神を配したもの)にも八幡大菩薩が顕れる。Wikipedia...
Read more社伝によると、白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の御神託により、この粟津に行幸になったところ、紫の雲がたち、金色の鳩が飛来して、粟津の森の大木に止った。 その処に当社の造営を勅諚され、仁徳天皇の御木像を御下賜になった。 次いでこの浦(湖辺)上下八町の間、殺生を禁じられた。漁夫等は、これを恐れて特別の浦、別浦と云い、後に別保と呼び、現在も地名として残っている。 翌年、当社に於て「放生会」が行なわれ以来毎年斎行されている。当社の竣工は、勅諚から四年後の白鳳八年で、九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初は粟津の森八幡宮、後に若宮八幡宮、更に後に、若宮八幡神社となった。 当社は、延喜十七年、落雷のため全焼、更に寿永三年、木曽義仲の粟津の合戦で全焼したが、建仁二年、源頼朝が上洛の時、当社を再興し、翌年社殿を再建した。 又当社を、歴代の膳所城主が崇敬し、社領寄進の記録がある。 千三百年の間、毎年行なわれて来た、放生会祭には、近年では、琵琶湖に蜆流しと、人形流しの厄除祭を斎行している。 当社には、現在も宮座が残っており、毎年元旦、例祭、放生会祭、の当日四季の花をさしそえた、御供を、本殿をはじめ、境内の皇大神宮他摂社、末社にお供えしている。...
Read more旧東海道沿いに面する膳所城下町南端に鎮座まします古社。膳所五社の一つ、創祀は白鳳四年、天武帝宇佐八幡の御神託により当地行幸の砌、紫雲立ち金色の鳩飛来、粟津の森の大木に止まった当地に八幡宮造営を勅諚、仁徳帝の御木像御下賜。九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初粟津森八幡宮、後に若宮八幡宮と称し現社号に至る。江戸期膳所城主歴代の崇敬篤く、社領寄進の記録あり。膳所城から移築されたる城門を有する。南面して日当たり良く広々とした境内、静かな雰囲気で心地良く参拝できる。御朱印あり。京阪石山坂本線瓦ケ浜駅下車、旧東海道を南進徒歩3分。令和5年5月3日、御朱印拝受。祭礼の日ながらご多忙のところ親切に対応いただいた神職さ...
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