往昔、浮島は陸奥国の歌枕として遠く京の都にまで伝わっていた。
浮島を詠んだ歌を紹介。
「塩釜の前に浮きたる浮島の憂いて思ひのある世なりけり」(山口女王/古今和歌集) 「陸奥は世を浮島もありと云ふを関こゆるぎの急がざらなん」(小野小町) 「定めなき人の心にくらぶればただ浮島は名のみなりけり」(源順/拾遺和歌集) 「定めなき浪にただよう浮島はいづれの方をよるべかとみる」(風情集) 「浮島の花見る程は陸奥に沈める事も忘られにけり」(橘為仲) 「塩釜の浦の干潟のあけぼのに霞に残る浮島の松」(後鳥羽院) 「世のなかは なほ浮島の あだ浪に 昔をかけて ぬるる袖かな」(明日香井集) 「いづくなる ところをかみし わが身より また浮島は あらじとぞ思ふ」(和泉式部) 「たのまれぬ 心からにや 浮島に たち寄る浪の とまらざるらん」(中務) 「浮島の 松の緑を 見渡せば ちとせの春ぞ...
Read more国府多賀城駅よりほど近い丘の上に鎮座。 国土地理院の地図に高低差陰影をつけると、古代、この付近は湾になっていて、この浮嶋神社の鎮座地はまさに島であったのだろう。
境内入口にある由緒案内によると次のとおり。 ご祭神は奥鹽老翁神(おくしおのおきなのかみ)と奥鹽老女神(おくしおのおうなのかみ)、配祀神として贈正一位源朝臣融卿(ぞうしょういちいみなもとあそんとおるきょう)となっている。 創建時期は不明だが、神亀元年(724)の多賀城創建の頃より鎮座し、この場所は古来、歌枕に詠まれた浮島に比定される地であったという。 明治41年に現在の城南一丁目に鎮座していた大臣宮(おとどのみや)神社を合祀し、源融卿を配祀したという。
境内には「歌枕浮島参道」という裏参道があり、この地を歌った和歌が掲示されている。 「塩竈のまへにうきたる浮島の 憂きて思ひのある世なりけり」 山口王女 ...
Read more陸奥国 宮城郡 延喜式内 浮嶋神社 であり塩竃神社十四末社の一 浮島明神です。 扇を彫り込んだ手水鉢は珍しいですね。
境内社の大臣宮は以前は別の場所にあり、こちらも塩竃神社十四末社の一...
Read more