伏木にある旧廻船問屋秋元家の住宅。元々は宿屋だったそうだが、やがて北前船を所有し伏木の繁栄の一翼を担ったとか。建物の見どころとしては茶室に絶好な望楼があり、それは長旅を終え、溢れんばかりの富を携え帰港する自船をいち早く見つけるために設けられている。何故いち早く見つけないといけないかは、パンフレットにも記載されているが同じく伏木の筆頭廻船問屋である鶴屋堀田善右衛門の末孫で、作家の堀田善衞(1918~98)が自伝『鶴のいた庭』に書いている。宮崎駿が敬愛していることで知られる堀田善衞であるが、実際、堀田善衞関連で何かあるのではと伏木を訪れる人は多いらしく、案内の人も本人に会ったことがあることを語られるのである。しかし、『鶴のいた庭』が北前船自体の潰滅と自家の破産とを語ったように、今はどこぞの蔵が鶴屋のそれらしいということを除いて何も残っていないそう。
『鶴のいた庭』によると自船が帰港すると、襖を外すと何と200畳になる邸の広間に船員一同を招いて大祝宴を張ったとか。料理屋、酒屋と町筋は一斉に息を吹き返し、そして続く饗宴に沸く街下を想像できようものである。こちらの館内に廻船問屋の引き札の展示室があるが、その中に豪邸を超えて城郭のような鶴屋堀田邸を紹介した刷り物があっては納得である。それが傾いていき、遂に転覆するまでのしかし鮮烈な記述は、例えば『上海にて』といったその後の堀田善衞の著作にも繰り返される。一方で映画『モスラ』(1961年)の原作も共同執筆し、そこに出てくる悪役、ネルソンはラピュタのムスカ大佐そのもの。ラピュタはこの伏木という港町の岐路がなかったら生まれなかったとも言えそうであるが、そういえばここの望楼というのもパズーとシータがハンググライダーのような凧で夜間にゴリアテを哨戒するシーンに読...
Read more今、名古屋市内に在住していますが、民謡を習っていて、「伏木帆柱起こし祝い唄」が出て来てビックリしました。それは 伏木で生まれ 、5年生で伏木を離れて71年間も経っていたからです。 伏木が北前船の寄港地で有った事も知りませんでした。資料館から徒歩2分の地で生まれて居ても。 兄弟で伏木巡りをしようと計画をして、伺いました。 伏木は小矢部川の河口に位置して日本海沿岸の屈指の良港だそうです。 18世紀に能登屋(藤井家)、鶴屋(堀田家)、西海家(堀家)等「七軒問屋」が有り、自ら廻船を保有して、廻船問屋が台頭したそうです。 その後、水主(かこ)(水夫のこと)達も売買する様に成り、廻船問屋と同等の力を持つようになったそうです。 資料館は旧秋元家の跡地ですが、秋元家は安芸国(広島県西部)出身で伏木に移り住み、屋号を本江屋(ほんごうや)で、小宿から廻船問屋として繁栄したそうです。 資料館は高台の崖っぷちに建って居ますがその下は昔、海、だったそうで、埋め立てられ、平地となって居ますが、正月の能登半島地震では下の一帯は液状化現象で大変だったそうです。 北前船は大阪から瀬戸内海を通り下関を廻って、日本海に入り、北前(北海道)迄の各港で買い積みをして、各港で売りさばいたそうです。 私の同級生に芥川賞受賞の掘田善衛の息子がいました。名士の子でした。昔の建物が今も存在していました。 何とかして資料館は残したいものですね! ...
Read more江戸時代の北前船の船主で、かつ宿屋の主でもあった秋元家の邸宅を北前船の資料館として公開している施設となります。 伏木駅から歩いて10分ほど、小矢部川河口域を見渡せる高台に有ります。 スタッフの方に北前船の歴史から邸宅の見どころ、伏木の歴史まで大変丁寧にご説明いただき、大変参考になりました。 北前船を通じて全国と取引のあった土地柄、襖の表装には琉球芭蕉布が使われていたりと、邸宅内のそこかしこに施されている見事な細工は一見の価値があります。 また、望楼から眺める伏木の街並みは一見の価値があります。 ただし、望楼まで登る階段は昔のままの作りで大変に狭く、かつ旧で、身長180cmある私にはかなり窮屈な思いをしながらの上り下りになりました。 底まで身長のない方でも、大きなリュックを背負ったままでは上り下り不可能でしょうし、スカートでの上り下りも避けたほうが良いと思われます。 とは言え、大変な思いをしてでもその価値の有る眺めです。 勝興寺からは徒歩で10分弱、途中には古くからの格子のある家や望楼が残る家があったり...
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