亮賢僧正ゆかり
綱吉生母桂昌院ゆかり
東京の護国寺はこちら大聖護国寺から始まりました
大聖護国寺さんはとにかく行事も多彩で開かれたお寺
寺院の在り方は時代により常に変わり続けて居るのが実状であり、こと近代は世間の動きも早く、世情の荒波も仏教界に押し寄せて来ています
宗派を問わず全国のお寺で様々な行事が企画される時代となりました
まず現代においての寺院の役割とは何か
自坊を取り巻く環境で出来る事は何か
自坊の存続を考えるのではなく、いま何が求められているのか、時代ごとのニーズに合致さえすれば自坊の存続は自ずと付いて来ます
いつの時代も誰が何をやっても批判の声は出るもの、賛否はあるでしょうが、その評価は百年単位の後世に出ます
何が間違っているとは言えないのです
行動無き祈りは妄想です
祈って何でも解決するならば、ただ祈っていれば良いのです
でも世の中そうは行きません
いま動かない寺院に五百年先の未来はありません
大聖護国寺さんは現代に於ける寺院の在り方の見本の一つだと思います
さて、内陣扁額は豊山化主 清水教誉猊下の揮毫
一行写経も良いですね
本尊 五大明王及び眷属三十六童子の修復は稀代の佛師『関侊雲』師(関侊雲仏所)
水墨画、天井画、亮賢僧正及び桂昌院掛け軸は関侊雲師のお弟子さんである関侊藍師
全て必見です
関侊雲師については直接の面識はございませんが、作品は良く存じており、現在日本で活躍中の仏師はそれなりにおりますが仕上げの見事さは他の追随を許しません
お弟子さん方も一人前の仏師で、師匠の技術、精神性、誠実さを瀉瓶の如く受け継ぎ、師匠と遜色無い仕事をされます
関侊雲一門の仏像は彩色像、漆箔像も良いですが、まずは素木の作品群を見て欲しいのです
見事さに気を失いますよ
話題を変えまして
豊山は亮賢僧正を宗門挙げてもっと大切にするべき
亮賢僧正が居たからこそ桂昌院、綱吉、将軍家に繋がり、護国寺開創から護持院の新義僧録、江戸における新義(特に豊山)の隆盛が築けた(筑波知足院も)
時代は下って、護国寺に置かれた新義の学林から中学林は現在の日大豊山中学高等学校に、大学林は現在の大正大学に発展
全ては大聖護国寺 亮賢僧正に繋がっているのですから
智山には直接ここまでの恩恵が無かった
亮賢僧正はどこで卜筮を習得したのだろう?
綱吉生母 桂昌院が帰依した大聖護国寺住持の亮賢僧正は江戸音羽の護国寺開山であり、桂昌院に隆光僧正を引き合わせました
後世に創作された話で『隆光僧正が桂昌院を焚き付けて生類憐令が出された』等の話は完全に嘘の作り話です
そもそも生類憐令は悪法ではありません
近年の研究でも明らかになっておりますが
稀に見る善き法なのです
犬猫、諸動物愛護のみの法律では無いのです
綱吉将軍擁立反対派の勢力により犬猫、動物保護の部分ばかりが強調され殊更 悪法のイメージに仕立て上げられましたが、
当時は子捨て、老人捨て、病人捨て、障害者捨てが当たり前に行われて居ました
武士は平然と刀の試し斬りをする
生類憐令に生涯反対だった水戸光圀など家老を斬り殺しています
そんな時代
それを含め禁じた法律なのです
遊郭の遊女だって親が娘を売った訳で、そんな時代ですよ
(現在でも犬猫は年間に何万頭も捨てられているのですから、当時はもっと酷かったのです)
生類憐令ががんじがらめの法では無かった証拠に
例えば動物による農業被害の為に駆除した場合は手続きさえすれば御咎めは無しでした
害獣駆除をした時には、その地域の名主(庄屋)など村役人に農業被害の旨駆除しましたと届け、村役人から代官、お上に報告されて手続きが終わり
処罰などありません
但し対象が人間の場合、当時は社会福祉の意識が低いために、『法で禁じるのは良いが受け皿を作らなかった』のが手抜かりと言えます
老人や障害者の施設があるわけで無し、孤児院があるわけで無し、病院、入院設備があるわけで無し
捨てるのが当たり前だった時代に受け皿もなく、いきなり禁止されたので反発が大きかったのです
ここさえしっかり押さえて置けば最高の法律だったのですがね
綱吉没後すぐに憐令は撤廃され、隆光僧正は失脚(追放)、失意の内に故郷奈良へ帰りました(羽曳野の隆光墓所は寂れております)
庶民は将軍を直接責める訳にも行かず、母公の桂昌院と側近である護持院隆光(大聖護国寺...
Read more不動・愛染縁日に初めて伺いました。 新しくとても綺麗なお寺で、庭園や紅葉が美しかったです☆抹茶を頂きましたが、息子も美味しく飲めました。 拝観料も無料で、お守り等もそこまで高くなく写真撮影やSNSへのUPもOKで良心的でいいなと思いました。 ただ1つだけ…お犬様コンテストの日だった為、ある飼い主の方でとても怖い想いをしました。
キッチンカーが並んでるエリアで食事をし終わった時、立ち上がった息子の所に小さなワンちゃんが近づいて来たので、とっさに息子がちょっと足を伸ばして追い払うようにしてしまったのですが、4〜50代の飼い主の男性が突然「あー‼︎蹴った!ダメだよそーゆー事しちゃあ‼︎」とかなり大きな声で言ってきました。目の前で見ていましたが、犬から2〜30cm程離れていた為、足先の1mmも当たっていません。確実に。 なのに連れの女性の方に「蹴ったよ‼︎蹴った‼︎」と騒いだり何度も振り返り息子の方をずっと見てきて「謝らないの?謝らないんだけど」と6歳の子に対して言ってきた為、当たってもいないのに旦那が軽く会釈しスミマセンと言ったり、私も息子には注意しました。(ちょっと普通じゃない異常さを感じたので、このご時世何かされたら怖いので) 普通、飼い主の方が犬が子供に近づいたら「ダメだよ」みたいな感じでリードを引くのが常識なのでは?と思いました。勿論子供に感じよく話してくれる飼い主の方もいたので、犬を飼ってる方全員を悪くは思わないですが… お犬様コンテストの日は行かないよ...
Read more大聖護国寺(だいしょうごこくじ)は鎌倉時代初期(1215年)に僧・定弘上人(じょうこう)によって創建された、真言宗豊山派のお寺です。元々は、すぐ隣にある碓氷八幡宮の別当寺で、神仏習合の時代背景の中で神社と密接に関わっていたそう。ご本尊は本堂には桂昌院によって奉納された不動明王。 Daishogokokuji Temple was founded in the early Kamakura period (1215) by the monk Jokou Shonin and belongs to the Buzan sect of Shingon Buddhism. Originally, it served as the bettoji (temple attached to a shrine) of the nearby Usui Hachimangu Shrine, reflecting the historical context of the syncretism of Shinto and Buddhism. The principal deity enshrined in the main hall is Fudo Myoo, which was dedicated...
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