この教会は、1954年(昭和29年)にサレジオ会(ドン・ボスコの精神を受け継ぐ教育修道会)によって設立されたもので、日本におけるカトリックの布教と教育活動の重要な拠点の一つとされています。東京の都心にありながら、ヨーロッパの伝統的なロマネスク建築様式を取り入れたデザインで、白い外壁と緑の屋根、そして高さ36メートルの鐘楼が印象的でした。
外から見ただけでも美しいのですが、中に入るとさらにその荘厳さに圧倒されます。ステンドグラスは光の入り方によって表情を変え、天井の高さと静けさが重なって、しぜんと背筋が伸びるような空間でした。大理石の祭壇やパイプオルガン、そしてフレスコ画など、芸術性と宗教性の両方が見事に調和しています。
特に印象に残ったのは、鐘の音。正午になると街に響き渡るその音は、どこか懐かしく、忙しい日常からふと切り離されたような静けさをもたらしてくれました。
信仰がある人にとってはもちろんのこと、そうでない人にとっても、心を整える場所としてこの教会は非常に価値のある存在だと感じました。観光スポットとは一線を画しつつも、誰にでも開かれているこのような場所が、東京の真ん中にあるというのは実に豊かなことだと思います。
なお、日曜のミサや結婚式が行われる時間帯は静粛が求められるので、見学を希望される方は事前に時間を確認して訪れると良いでしょう。
信仰や宗教を超えて、建築、歴史、そして静寂の美しさに触れたい方には、ぜひ一度訪れてみ...
Read moreキリスト教徒でなくとも、学びたい気持ちがあれば受け入れてくれます。神父様は海外の方が多いですが、みなさま日本語が堪能で教説もわかりやすく教えてくださいます。聖堂は朝暗いうちから開放されています。 病気で働けずにいた頃よく訪れていました。「今は病気で働けないけれど、また仕事に戻りたい」とお話しした神父様が「あなたさえ良ければ週一日ほどボランティアをしてみませんか」と、教会に来ていたボランティアの依頼をいくつか紹介してくださいました。お給料はないけれど、交通費がありました。短時間勤務可能で、日にちを相談できたのです。そのうちのひとつに合格して週に一度働くことになり、以降、職歴を重ねて希望の仕事に戻ることができました。 ボランティアに合格してすぐ、遠方だったことと病気のため、教会に通い続けることができなくなりました。洗礼は受けないままでした。神父様にご挨拶すると、小さな金色のメダルをくださいました。 その後、住む場所が変わり、仕事も変わりました。御守りにしていた小さなメダルもいつの間にかなくしてしまいました。あれからもう何年もこの場所を訪れていません。けれども、今でも...
Read more〔碑文谷カトリック教会/Himonya Catholic Church〕 目黒通りの、碑文谷交差点、そこにあるイオンスタイルの角を入ると、数分で見えてきます。圧巻は、古い聖堂でしょうか。
目黒であるのに、ヨーロッパに来たのではないかと思わせる教会があります。
<江戸のサンタマリア聖堂> この教会は、江戸のサンタマリア聖堂と言われる聖堂です。その由来は、結構泣けてくるようなエピソードでした。
江戸時代に、イタリアの教区司祭だったシドッチ神父は、日本への布教を希望し、禁教下の日本に来日しました。
シドッチ神父は、貴族の出身で、ローマ教皇庁の法律顧問を勤めるほどの秀才でした。
でも、禁教下のこと、捕らえられて 幽閉状態になりました。シドッチ神父が持参した絵画が、マリア様の肖像でした。それが、江戸のサンタマリアと呼ばれています。
シドッチ神父は、小石川にあった切支丹屋敷で、幽閉されながらも、世話役の夫婦に布教しました。 今、列福の調査も始まってますね。
〔アクセス〕目黒駅から...
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