ここらじゃ大きな古墳っすね~。(. ❛ ᴗ ❛.)
東京都指定史跡
稲荷塚古墳
多摩市百一一四〇 福荷神社内 指定 昭和二八年六月一九日 旧定 昭和三三年-0月七日 史★指定
稲荷塚古墳は多摩丘陵の北辺、多摩川に注ぐ大栗川右 岸の舌状台地上に立地しています。凝灰岩の石切組積 で築かれた胴張り複室構造の横穴式石室を主体部としま す。石室は全長約七m、玄室部高約二mです。築造年代は 七世紀前半と推定されています。昭和六一年・平成二年の 墳丘周囲の確認調査では周溝が確認され径約三十四mの 円墳とされましたが、畿内などで十数例が知られるにと どまる、全国的にも類例が少ない八角形墳とも考えられ ています。平成六年の調査では、墳丘下部に一直線に並ぶ 貼石が確認されました。これは墳丘裾部に配置された装 飾や区画のための外護列石の可能性があります。
文化財を大切にしましょう
外塚三八mで幅二m周溝が巡り、その内側に復元高 四mの墳丘が想定されています。二段築成で、墳丘一段目 は幅六mのテラス状を呈しています。墳丘二段目は対角 二二mで、ここに主体部が構築されています。主体部の 中軸線は穢角に一致しています。 設計において、高麗尺(尺=三五 五cm)が基準尺として使用されたと推測され ます。副葬品の内容は不明です。周溝東北側から七世紀前 半頃と思われる土師器・杯の破片が出土しています。現 在、石室は保護のため埋め戻されていますが、平面形が分 かるよう表示がなされています。
平成二二年三月...
Read more事前に多摩センタにある歴史ミュージアムで本古墳の紹介ビデオを観てから行きました。そもそも8角形墳というのは皇室の古墳に多用されているらしいのですが、ここの古墳はそれらよりさらに古い時代らしく、渡来人の有力者の墓だったのでは?とビデオ紹介されていました。かなり貴重な古墳らしいです。とはいえ、現地は草ぼうぼうの公園の片隅に確かに小さな丘のようになっている場所があり説明掲示と、保護する建物が建っているだけです。中は当然のことながら見ることはできませんので、詳しくは歴史ミュージアム等で調べることをお勧めします ーーーー 直径34m・高さ4m、2段築成の八角形墳で周囲を幅2mの堀がめぐる。埋葬施設は南西方向に入口をもつ横穴式石室で、全長約7.7m。玄室・前室・羨道からなる複室構造で、凝灰岩の切石を用いて構築されている。盗掘されていたため副葬品は見つかっていない。7世紀前半の築造。都指定史跡、1958(昭和33)年指定。
現状は直径20m・高さ2mほどの円墳で、墳頂には恋路稲荷神社が建つ。石室は埋め戻されているが、ブロック舗装によって石室の位置が...
Read more稲荷塚古墳の東側に資福院という寺院があったが、明治初年に廃仏毀釈により墳丘上に恋路稲荷神社が建てられた際に古墳上部が著しく削平され、天井石もほとんど取り去られて、遺跡とその周囲はかなり改変をうけた。石室も盗掘され、遺物なども持ち去られたと伝えられる。 円墳とみなされてきたが、再調査の結果、従来東日本では確認されていなかった八角墳であることが判明した。築造時期は7世紀前半と推測されている。石室は既に盗掘されていたため被葬者は不明である。 かつて、八角墳は7世紀中頃以降の天皇陵の形式と考えられていたが、東日本では稲荷塚古墳の確認に続き、他の古墳でも確認が続いたため八角墳に対する見方を変えることとなった。日本全国でおよそ15万基造られた古墳の内、八角...
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