区名由来の橋だから、いかにもという感じで造られているのがいいねぇ。まるっきりのコンクリートむき出しでは味気無いでしょうしね。この橋を挟んで全長1700メートルに渡って板橋宿があったそうです。実は橋の名から呼ばれ出したそうだが、地元住民は下板橋村という名から下板橋宿と呼んでいたという話を聞いたことはある。しかし、それはあくまでも総称で、正しくは、今の板橋本町が❬上宿❭で、仲宿が❬中宿❭、そして板橋に❬平尾宿❭という三宿があったそうです。上宿は大名が泊まる本陣があり、この本陣は宿屋ではなくて、名主の屋敷やお寺が利用されたそうなので上宿に宿屋はないらしい。中宿は商人などの宿屋があったらしいが、江戸時代の街道第一宿は旅人より江戸から遊興に訪れる人の方が多かったそうだ。江戸の町中は町奉行の管轄下にあり、賭場や女郎屋はご法度だった(有名な吉原は江戸の隣町になる)。しかし、第一宿は江戸の外になるから奉行の管轄外になり、ある程度は自由になったらしいが、遊女は(飯盛女)と呼ばれていたそうだ。吉原は宴会がメインだから高くつくが、第一宿の飯盛女はストレートに遊べるから、距離があっても吉原より安く遊べたそうだ。そして、平尾宿は人足宿だったらしいが、宿場町のメインはあくまでも人足だったそうだ。宿場は奈良時代には置かれるようになったそうで、旅人のためではなくて、人足や荷馬車を常備して公共の輸送機関として設けられたんです。平尾宿は中山道の作物が中継される一大タ...
Read moreJR「板橋本町駅」A2/A3出口から徒歩10分程です。板橋本町駅と板橋区役所駅をつなぐ旧中山道沿いにある、地名の由来となった「橋」があります。板橋本町方面には「縁切り榎」もあり、桜のシーズには、石神井川の桜が素晴らしい景観を楽しむことができます。(桜のシーズン外はなんてことないw)
中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて1番目の宿場として栄えていたようです。
以下、由来です(板橋区のHPより引用) 「延慶本平家物語」という軍記によると、治承4年(1180年)に挙兵した源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣しています。ここに地名としての「板橋」が初めて現れ、少なくともこの資料が成立したとみられる鎌倉時代には「板橋」の地名があったことがわかります。しかし、地名発祥の由来については、はっきりした史料はなく、一般的には、中山道が石神井川を横切る地点にかけられた木の橋を“板橋”と...
Read more今日のジョギングの目標地点はココ!
練馬総合運動場付近から石神井川沿いに来てみました。
今日は石神井川沿いに咲き始めの桜を眺めながら 片道6キロ程度ってところです。 高稲荷公園、氷川台、城北公園と川沿いに桜が植わってますが 残念ながらそこをこえて、下頭橋までは桜がありません。(1キロ程) (練馬総合運動場から下頭橋まで4キロチョイ) その先もまた見事に桜が植わってます。 今回 ”板橋” まで来てみましたが、この先も川沿いに桜が植わってそうで きっと満開だときれいだろうなぁと ”妄想”...
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