The Shrine to Susanoo is a beautiful shinto complex out of the way of the tourist press at Meiji or Senso-ju. It's a rare large shrine without much Buddhist influence and has some excellent cherry blossoms and serene design and stories within. There are active ceremonies and celebrations held throughout the year, and a staffed office and calligraphy stamp booth.
Also a familiar symbol might be fun for...
Read more南千住の素盞雄(スサノオ)神社。 御祭神は社名のとおり素盞雄(スサノオ)様ですが本神社では別名である牛頭天王(ゴズテンノウ)に親しみを込めてお天王様と呼ばれているようです。
創建はなんと平安時代の795年ということで1200年を超える歴史と由緒ある神社です。 当時、このあたりにあった塚(富士塚)を霊場として崇め日夜礼拝していた黒珍(コクチン)という僧が居たそうです。 ある夜、小塚にある石が突如光り二柱の御祭神、素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)が現れ黒珍へ御神託を授けたそうです。 その御神託とは「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」というものでした。 これがこの神社が創建された由緒になります。
その塚は富士塚(フジヅカ)・小塚原富士(コヅカハラフジ)として今でも残っています。石も瑞光石(ズイコウセキ)と呼ばれ現存して大切に祀られています。 この塚のふもとには鳥居も設置されていて参拝できるようになっています。
気付きにくいのですがその鳥居のちょうど向かい(手水屋の裏)で御神水をいただける蛇口があります。 看板には飲用可能と書かれています。都心で飲用可能な地下水をいただけるのはありがたいですね。 水量豊富というわけではなさそうですし、地元の方も利用されると思いますので常識的な分だけいただくよう配慮は必要かなと思います。
なんといっても牛頭天王ですから御神水にも祓う力、清める力が強力に宿っているのではないかと思っています。
また境内には子育ての銀杏(イチョウ)という名で親しまれている御神木があられます。お子さんの初宮詣の際に絵馬をかけ成長を願う風習があるそうです。 他にも松尾芭蕉の奥の細道で旅立ちの地となったのがこの千住ということでおおはしという橋や句碑、笠も境内に設置されています。
牛頭天王といえば頭の上にさらに牛の頭が生えている上にとても厳しい表情で周囲を睨んでるような様相が絵や像に表現されていますが 実際にお会いするととても気さくでおおらかで明るい癒しの雰囲気を感じます。
本殿の左脇で目をつぶってお話をしていると銀杏の葉を頭に落としてくれたり冬なのに春のような清々しく気持ちの良い風を吹かせてくれたり黄色に黒い斑点の珍しい蝶を見せてくれたり(^^)
境内に居るだけで心がスッキリして癒さ...
Read more京都の八坂神社の蘇民将来はよく知られていますが、東京の素戔嗚神社も「蘇民将来」茅の輪守りがあるという事で是非とも訪れたかった神社です。私の生まれ育った日本橋の小伝馬町あたりに牛頭天王(素戔嗚大神)を祀っていた神社があり、それが後世、四谷三丁目の「君の名は」で一躍有名になった須賀神社に合祀されまして、そこの氏子となった時期もあり、更に今は事代主が逆手を打った後の地に住んでいますのでご縁を感じ、感謝の祈祷を捧げました。 なので、実は江戸も素戔嗚が大切に祀られてきた土地であるのですね。 天王宮の天王ですが、竹内文書に天皇となる前は日本という地域の括りがない"天王"という様な記述があって、近世では偽書とされてきたものの、昨今の時代の変革期に合わせるかの様に古事記前の古文書がどんどん解読されてきていることとリンクします。 浅間神社を祀った富士塚がありますが、富士講の一つなのでしょう。 御祭神は素戔嗚大神と、事代主(恵比寿・戎)様で、事代主を飛鳥大神といういわれが気になります。飛鳥といえば奈良ですが、鴨や金鵄、白鳥などとも繋がり、歴史を研究している立場から、実は想像より時空を超えて繋がっている様です。
以下、須賀神社より〜 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、...
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