尾崎放哉のことは最近ゲームをきっかけに知って、小説「海も暮れ切る」を読んで、どんな場所で最期を過ごしたんだろうと気になり、友人と一緒に旅行で訪れました。直筆の現物資料は少なく、かなり貴重なものだと感じました。コピーですが、食庵日記などは本人の字で残っているので再現した飾りと合わせて読むと本当に限界だったんだろうなと感じて切なくなりました。 建物は再現したものになりますが、当時はここにこういった物を置いていて、放哉本人は病状を見られないように入り口付近で寝て過ごしていたというお話を聞き、資料だけではなく貴重なお話を聞かせてもらったと感じました。
翌日も訪れたところ、入館料の大人200円で2日間有効でした。たしかにチケットに2日間有効と記載がありましたが、1日使ったら終わりと思っていたので驚きました。お墓参りも2日間させていただき、近くでお土産を買って帰りました。
これまで色んな場所に旅行しましたが、小豆島は本当にご飯もスイーツも美味しくて、スタッフさんも優しいし、特に魚好きお酒好きにはたまらない場所でした。 今年の4月7日は没後100年ということなので、...
Read more自由律俳句「咳をしてもひとり」で著名な尾崎放哉が最期の8か月を過ごした庵で、南郷庵と書いて「みなんごあん」と呼ぶそう。海が見えるところを望んでは、かつては南郷庵の北側の障子を開けると塩田が見えたとも。咳が出るのは結核を患っていたためで、ここに入居してから書き始め、没後屏風に仕立てられた『入庵食記』には日々の、芋のお粥といった食事と、ままならない病状を記したもの。その「食と闘病」を綴った日記はもはや限界の生そのものであり、却って壮絶。 若き放哉が恋人との結婚を親類に反対され、心中しようとしては遂に恋人にも拒否され、彼女が去ろうと人力車に乗って幌を降ろすさまを詠んだ句、「わかれ云ひて幌おろす白い指先」も印象的で、見つけたのは放哉のことを書いた吉屋信子である。その後も色々な作家が放哉のことを書いているようでそれぞれ自分に重ね合わ...
Read more吉村昭さんの『海も暮れ切る』という、尾崎放哉自伝を描いた小説を読んでから訪れると感慨もひとしおだったと思いますし、小説で言及されるゆかりの地も訪れることができたと思います。 こじんまりとした庵で...
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