山号を仏日山、ご本尊を薬師如来坐像とする曹洞宗の寺院。 阪急創始者・小林一三の要望を受けて、現在地に移ってくる前は、淀川南岸の豊崎と呼ばれる地域にあり、もともと風葬の地であった。735年、その地を訪ねた行基は、人々に火葬の方法を教え、荼毘に付した人々の供養のため、薬師如来を刻み、その前に咲いていた萩の花を供えたといい、このとき建てられた"観音堂"が、東光寺の始まり。1681年、相模から霊全和尚が入寺して曹洞宗に改め、寺名を"東光院"に改めた。文化年間(1804年 -...
Read more東光院(曹洞宗永平寺系別格寺院、山号は仏日山吉祥林(ぶつにちざんきっしょうりん))は「萩の寺」とも呼ばれ、境内には多くの萩が植えられています。もともと豊崎村(現大阪市北区中津)にありました。明治時代以後、大阪市の都市化が進み、萩の生育に影響すると懸念されたことや、阪急電鉄の創業者小林一三の働きかけもあって、大正3年(1914)に現在地に寺基を移転しました。 由緒によると、天平年中(8世紀前半に行基が間いたといわれ、往古は薬師堂と号しました。延宝9年(1681)に相模国(神奈川県)功雲寺の霊全が訪れた際に曹洞宗籍に入り、東光院と称すようになりました。文化年間(1804~18)、大坂住人両替商、殿村平右衛門・中原庄兵衛らの浄財寄進を得た弥天一州(やてんいっしゅう)が伽藍を整備しました。 本尊となる木造釈迦如来坐像(国指定重要文化財、現在大阪市立美術館に寄託)は平安時代後半の毘首羯摩(びしゅけいま)が製作したものといわれ、京都清凉寺の釈迦如来立像と法量・作風・技法が似ています。他にも、僧恵心(源信)作とされる阿弥陀如来像や快慶の製作という阿弥陀如来三尊像を安置しています。また、円山応挙が描いた「寿老人図(じゅろうじんず)」といった絵画も所蔵しています。 旧川崎東照宮本地堂(市指定文化財)は、寛文5年(1665)徳川家康を祀った天満川崎東照官(大阪造幣局付近)内に建立されました。明治時代になると、反徳川の風潮の中で東照宮は廃社となり、明治5年(1872)に東光院が同堂を引き取りました。 本地堂は、明治2年に廃仏毀釈により廃寺となった隠岐国(島根県)伴桂寺(ばんけいじ)の伝小野篁(おののたかむら)のあごなし地蔵を安置していることから、あごなし地蔵堂と呼ばれます。 道了堂はもと小田原藩蔵屋敷にあった鎮守社で、天和4年(1684)の銘札があります。山門(薬医門)の切妻造で宝暦7年(1757)に全竜(ぜんりゅう)が建立...
Read moreI visited here three times for the best bloom of Hagi flower and now the season is over, let's wait next opportunity. People in the temple are very friendly and warm to talk each other, entrance...
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