真田戦記 津島湊跡 愛知県津島市宮川町1丁目 津島湊は尾張から伊勢を結ぶ天王川舟運の川湊として繁栄を極め、川湊としては全国的でも有数な商業地として発展しました。室町時代には天王川に点在した川湊が土砂により浅瀬になり大きな商船の利用が出来なくなった為、津島湊に商人が集まり多くの物資の集積場となりました。織田弾正忠家は商人達で行う自治を組織し課税を取らなかった為、さらに発展し大坂の堺湊に匹敵すると言われました。織田信秀は守護代配下の3人の奉行の一人にすぎませんでしたが、主家の守護代や守護をもしのぐ勢力を得た理由は何より津島湊がもたらす莫大な利益にありました。しかし、江戸期に入り治水工事が行われ天王川が堰き止められると舟運での利用が無く...
Read more当時の名残あり 2022年11月上旬に初めて行きました,
説明板によると 天明年間(1781~89年)まで津島には木曽川の支流の天王川が注いでいて、この辺りに津島湊という川湊があり、津島天王社(現津島神社)の門前町として、また交通の要衝としてにぎわいました。文緑2年(1593)...
Read more信長の時代、交易の拠点として栄えた湊跡とのことです。 当時の地形は熱田神宮の南がすぐ海だったようにこの辺りも木曽三川に近く水運の発達した場所だったのでしょうか。今の津島湊跡は池の様相で川の流れは見えず史跡として想像するのみです。 あまり史跡を強調していないのか湊跡の石碑などは見当たらず、常夜燈だけがかろうじて歴史を感じる遺物でした。 最近、信長関係の番組を見る機会が多く初期の織田家の財源としてこの湊が大きく関わっていたことを知りました。もう少し史跡的な...
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