It was very nice to explore the castle ruins. I spend about an hour just walking around and looking at the view and taking photos and then I had to leave. Later on I discovered that even as I had already seen much, I haven’t still actually seen all. It’s a very big park. Well worth visiting if you are...
Read more格子戸を くぐりぬけ 見あげる夕焼けの空に
誰が歌うのか 子守唄 わたしの城下町
「わたしの城下町」(1971年) という古い歌を思い出して、大分県の臼杵市を訪れた。
「城下町」とはどのような街を言うのだろうか。
大分県の臼杵は、キリシタン大名として有名な大友宗麟によって 1562年に築城された臼杵城の城下町として栄えた街で、大友時代の南蛮文化・キリシタン文化の歴史を感じることができる。
臼杵城は、築城当時は丹生島と呼ばれる孤島上の城郭で、堅固な守りを誇っていた。大友宗麟は城の周りの干潟を次々に干拓し、城下町を作った。臼杵湾から臼杵川へと入り組んだような現在の複雑な地形は、大友宗麟が造営した城下町が基礎となっている。
臼杵城の本丸・二の丸 (通称西の丸) 跡の公園には、1576年、ポルトガル人より大友宗麟に贈られた日本最初の大砲「フランキ砲」のレプリカが設置されている (本物は靖国神社に展示)。宗麟は「国崩し」と命名し、臼杵城防衛の為に設置した。 大友宗麟がキリスト教を布教させたのは、一つには鉄砲や大砲などの火器、火薬原料の硝石などを得ようとしたことにあると言われている。
大友氏以降は、福原直高、太田一吉が城主を務めたのち、慶長5年 (1600年) から美濃から入封した稲葉氏が、廃藩置県まで15代にわたってこの城を居城とし、藩主として臼杵藩を治めた。
現在は2つの櫓と書院の庭園の一部、石垣などを残すだけで、臼杵公園として市民の憩いの場となっており、春は桜の名所である。公園は小高い場所にあって とても広く、臼杵の街並みや港を見渡すことができる絶好の場所にある。
城の建物はなく今は城跡を残すのみとなっているものの、この街は趣深い城下町に違いない。
臼杵には野上弥生子文学記念館があり、歴史と文学の散歩ができる。 また、ふぐ料理店や海鮮料理店がたくさんある。西麻布や丸の内にも支店がある有名なふぐ料亭 山田屋がある...
Read moreA beautiful facade of a once imposing castle above Usuki. Today, once you get to the top of the castle, it is just a field. Regardless, the facade of this castle remains beautiful and worth a visit to Usuki. Overall a...
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