萬松寺は「阿古耶の松」ゆかりの地である。 物語は二編に分かれている。物語すべてを書くと長いので、超簡単に記すと、
(第一部/阿古耶姫) ・信夫国領主の藤原豊充の娘は阿古耶姫といった。 ・阿古耶姫のもとに名取の若者が通ってきて、二人は恋仲になった。 ・ある時、若者は「自分は千歳山の古松の精である」と言い去っていった。 ・名取川の橋が洪水で流されたので、千歳山の古松を伐って橋を作ることになった。 ・阿古耶姫は悲しんで、千歳山の切り株の横に新しい松を植え、麓に庵を結んだ。(この庵が現在の萬松寺)
(第二部/中将姫) ・実方中将は、天皇の前で同僚とケンカをして、天皇から「歌枕を見てまいれ」と陸奥国に流された。 ・実方中将は名所の阿古耶松を訪ねる途中、笠島の道祖神の前を下馬せずに通り過ぎたため、神の怒りを買って馬から落ちて死んだ。 ・都に残っていた実方中将の娘、中将姫は悲しみのあまり、陸奥国までやってきて、実方中将が訪ねることができなかった阿古耶松に至り、そこで死んだ。
まあこんな具合で、古典ファンでなくても、昔話で一度は聞いたことのある内容だろう。
【ゆかりの歌】
「消えし世の 跡問ふ松の 末かけて 名のみ千歳の 秋の月影」(阿古耶姫) 「みちのくの 阿古耶の松に 木隠れて 出でたる月の 出でやらぬかな」(夫木和歌抄) 「みちのくの阿古耶の松を訪ねわび...
Read more千歳山萬松寺といい曹洞宗のお寺で御本尊は釈迦牟尼佛になります。 奈良時代末期に阿古耶姫(あこやひめ)によって開創されたのが始まりとされる、阿古耶姫は中納言藤原豊充(藤原鎌足の曽孫)の娘とされ信夫郡司職として当地に赴任してきた際に父親に随行してきたそうです。 当初は宗派も関係無い小さな寺院でしたが高僧の行基菩薩が巡錫で訪れた際に法相宗の寺院として改宗開山した、さらに後年慈覚大師円仁が訪れた際に天台宗に改宗しています。 その後に衰微していた萬松寺を正法寺(奥州市)三世清厳良浄が再興し曹洞宗に改宗しています。 萬松寺はその後歴代の領主から庇護され山形城主最上義光公は寺領六十石を安堵し天正年間(1573年~1593年)に山形城を改修した際に旧城門(大手門:南門)を萬松寺に寄進しています。 萬松寺の仏殿は宝暦九年(1759年)に建立された建物です、二重入母屋造り銅板葺平入の屋根で桁行八間の梁間八間の間(部屋)を持ち内部の床は土間になります。 御本尊釈迦牟尼仏立像、脇仏如意輪観世音菩薩や大迦葉尊者立像・阿難陀尊者立像、不動...
Read more千歳山、阿古耶の松とあこや姫とのロマンスなど、色々な伝説が伝えられるここ萬松寺! この寺は、開山千三百年とされ、千歳山の麓に鎮座する曹洞宗の名刹です。 私は仕事の都合で県外へ出て帰ってきたいわゆる転勤族でした、子供の頃、こちらの境内や境内の裏手にあった粘土質の山坂で遊んだ記憶もあり、今回45~6年ぶりに訪れ、とても懐かしく沁み入る事が出来ました。 山門も本堂伽藍も驚く程あの時のままで、本堂内の苔むし青々とした土間床は、歴史とその重みを感じずにはいられません。 この日はもちろん、幼き日の記憶を辿りながら境内裏手から、先程ふれた粘土坂を経由し、千歳山頂上を目指したのでした。 そう、ここ萬松寺は、その昔から千歳山山頂を目指す登山口の一つとなっており、アマチュア・ハイカーの一...
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