遠くからお見えになる方や、初めてお参りに見える方には場所は分かりやすいんですけど、道を聴くときに神社の名前を告げると分からなくなる地元の方も多いと言われているのが、この下野國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)で、両毛線の足利駅や東武鉄道の足利市駅からタクシーに行く先を告げるときは、近くの"門田稲荷"と示した方が分かりやすいお宮でもあります。ところが実は、この門田稲荷は一社八幡宮の境内にある境内社のお社なので、遥か以前から"縁切りのお社"として有名で、軒先で母屋を支配してしまっているような、そんな関係の神社でもあります。看板も、門田さんのほうが賑々しくて、一社八幡さんは東隣で圧倒されてしまっている感じがあります。東武の足利市駅の南側にあるこんもりとした森のお山の谷一つ挟んださらに南側に、古墳群がありまして、この南側麓にあるのが境内地です。足利市駅から歩いてでも行けなくはないのですが、このお山の東側を迂回して廻り込んでも30分は要する距離ですから、やはりタクシー使った方がいいかもしれません。この北関東の足利から館林にかけての路線バスは、もう何十年も前から壊滅状態で、走っていても生活バスで観光には向いていません。特にこの足利の渡良瀬川南岸地域は、クルマがないとどこへも行けないところなので、バス停は、あるにはあるのですが、神社最寄りは「八幡十字路」停留所で、本数も運行時刻も本当に定時で来るのか分からない路線ですから、行きは乗れても帰りは無かったりして、情報を仕入れておく必要があります。この頼りない路線バスに運よく乗れれば片道5分弱で向かえます。クルマで見える場合は、北関東道の太田桐生ICを降りて、只上の交差点は直進、只上八幡前の交差点は右折、南大通りとの交差点をさらに右へ行ったずっと先に、門田さんの看板が見えてきます。門田稲荷は縁切り神社なので、抵抗のある方は境内東の角に一社八幡さまの正式な参道がありますから、そこから鳥居をくぐってお参りされるとよいでしょう。南大通り側から、北西方向へ一直線に本殿へ向かって参道が続いています。本殿は階段を数段上がったところにあります。八幡さまのほうから、門田さんのほうへは、境内を移動すれば、ついで参りもできます。授与所は八幡さま側の参道を進んで、右側にありまして、ここで門田さんのお守りやお札も扱っています。駐車場は、八幡さま側の境内東側から入れます。神社周辺は閑散とした街で、東並びにのどかなカフェが1軒、先ほどのバス停付近にウナギ屋さん(なまずの天ぷらもあります)、向かいにお寿司屋さんなどまとまってあります。北関東一帯は、たいていウナギやさんに行くと、ナマズも食べられて美味しいです。バス待ちや直会にはちょ...
Read more下野國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう) 御祭神 誉田別命(応神天皇) 大帯姫命(神功皇后) 姫大神
由緒 下野國一社八幡宮は、八幡太郎源義家と義国父子の手厚い信仰により、源姓足利氏代々の氏神として保護されてきました。 足利荘にあったため古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、また下野国第一の八幡宮という意味で下野國一社八幡宮あるいは一國一社八幡宮とも称しました。
下野國一社八幡宮は、天喜四年(1056)に、八幡太郎の名で知られる源義家とその父源頼義が、陸奥の豪族である安倍頼時・貞任父子との戦い(前九年の役)に赴く途中、この付近に宿営し、戦勝を祈願して小祠を創建し、山城国(現京都府)の男山八幡宮を勧請したのが起りといわれています。 この宿営したところが「大将陣」と伝えられています。 康平年間(1058~1065)に凱旋した義家は神の恵みに感謝し、義家公自ら兵器を奉納しました。
文明八年(1476)八月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加えました。 元和七年(1621)十一月、江戸幕府より二十石の朱印社領を許され、この時の設計図や費用明細書などが現存しています。 明治四年(1871)に社格が制定され、翌明治五年(1872)に郷社、明治三十五年(1902)には県社に列せられました。
下野國一社八幡宮は、南北朝時代以降の指定文化財を多数有しています。 八幡宮本殿附八幡宮本社再建図(県指定) 八幡郷検地帳(県指定) 八幡山古墳群(県指定) 幣殿・拝殿(市指定) 銅像鳥居(市指定) 大永化縁状(市指定) 下野足利領八幡山御縄打水帳及び名寄帳(市指定) 延文記録(市指定) 八幡宮クロマツ(市指定) 放生会の碑(市指定)
境内には、「悪縁を絶ち良縁を呼び込む」稲荷神社、「門田稲荷神社」があります。 門田稲荷神社は、京都の「伏見稲荷」・東京の「榎木稲荷」と並び、日本三大縁切稲荷と呼ばれています。 悪縁・男女間・賭け事・飲酒・タバコ等の縁切、病気や災難等の厄除に徳があるといわれています。 (「下野国一社八幡宮HP」「栃木県...
Read more様々な冥利が得られると云われる八幡神社である。 縁起は下述するが、縁切りや呪詛の効果が得られると云う人もある。 気をつけなければならない。神道(八幡菩薩なので仏道か)は魔術ではない。呪詛の願をかけると、相手だけでなく、自分にも同じ厄が起こる。もし、軽い気持ちで願をかけた「覚悟」の無い方は1日も早く願を外しに参拝に訪れるべきである。
草創は、前九年の役で、謀略説のある阿久利川の戦いの起きた天喜4年(1056年)である。前九年、後三年の役の凄惨さの伝達が縁切りや呪詛が云われる起源になったのかもしれない。
京の都から遠く離れた場所であるが、この神社を草創したのは源頼義、義家父子である。 足利市はそれほど重要視していないようであるが、般若心経の原典(梵語版)が日本のみに残っていることに匹敵する出来事に思われる。(陰の無い英雄はいないということか・・・) なぜ、頼義、義家はこの地に草創したのであろうか?義家の母は平将門征伐に功のあった平貞盛の四代末であり、足利には将門の遺体が四カ所にわかれて埋められていることから(興味のある方は北に4km離れた「樺崎八幡宮」の投稿を参考にされたい)将門の祟り...
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