本行寺は顕本法華宗に属し、文明元年 (1469) 日泰上人の開基で宗祖の大曼荼羅を本尊とし ています。 当初浜村(現浜野町) 東方の谷に道場を構えましたが、 その後上人の熱意により帰 依した土気城主酒井忠孝が広壮な伽藍を建て、いわゆる 「七里法華」の根本霊場としました。 天正18年(1590) 戦国時代末期の戦火にあって焼失し、 その後現在の地に再建され、朱印地10石、衆6坊、末寺7、門前地 26戸を有する近隣の名刹でしたが、 昭和20年 (1945) 戦災に遭い焼失しました。 現在の諸堂はその後順次再建されたものです。 これらの災禍により寺宝書跡の多くが失われましたが、それを免れた寺宝のうち、 北条家の禁制 (元亀2年) 9月2日付) などの文書や不受不施派関係の書状 日泰上人の本尊など...
Read more連歌師宗長の”急がば回れ”
室町時代の後期頃、小弓城主原胤隆に招待され、連歌会を開いた連歌師宗長。その際の宿泊先はこの本行寺だったと言われる。 知名度が高いのはやはり、師匠の宗祇だろう。しかし宗長も負けず劣らず、その旅程は遠く長く、数々の著作も残した。 そして、なんといっても有名?な歌
【もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋】
これは、現在でも多用される諺「急がば回れ」の語源と言われる。
この間、某TV局「チ◯ちゃんに△られる」で出題。
舞台は琵琶湖だから...
Read more顕本法華宗のお寺で境内が広く池があります。日泰によって創建された。 このお寺に「七里法華」の話しが残っている! 酒井定隆が品川から浜野へ船で渡ろうとした時、船が沈みそうなシケに襲われ、その時乗り合わせていた日泰が念仏を唱えるとシケはおさまり、無事浜野に着くことが出来た。 感謝した酒井定隆は、一城の主となった時には、領内七里四方の寺を日蓮宗に改宗させると約束し! 土気城主になって、その約束をはたした! だから、千葉県の中...
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