【勇壮な祭りも今年は中止】
その中を、裸の男衆が半鐘を打ち 鳴らしながら突進していきます。 吊るされた籠から滝のように 流れ出る火の粉は容赦なく 裸の男衆に降り注ぎます。 担いだ神輿にも花火が仕込まれ 火の粉を噴出します。 足元には、相変わらず爆竹が 投げ込まれます。 爆竹の音と、半鐘の甲高い音で 三半規管はとっくに正常機能を していません。
「クレイジー」そんな言葉がぴったりの 手力火祭です。
例年ですと、桜散る 4月2週の土曜日に開催されます。 当日正午、花火の音が 少し離れた我が家まで聞こえ 夕方頃会場に向かうと 各町からたどり着いた飾り神輿と 爆竹の嵐で、高揚感は急上昇 打ち鳴らされる半鐘の音で、 判断力は、奪われます。 毎年は次のようなスケジュールで進みます 14:30 町内ごとに長持の入場開始 18:45 飾りみこし入場終了 19:00 御幣行灯に点灯 19:25 滝花火に点火・各町内の飾りみこしの競演 20:30 仕掛け花火に点火 20:35 手筒花火に点火 21:00 仕掛花火、山焼花火に点火 21:10 終了 神話に登場する、祀神、天手力雄神に捧げる 勇壮なこの祭りは、300年余の歴史があり 1760年頃からの記録が残されている 伝統的な行事です。 岐阜県重要無形文化財にも 指定されています。
この神社の歴史は、 飛騨の夷(えみし:異民族)から 美濃の地を守る「比奈守神社今手力雄神社」 とし創建されました。 朝廷より力持ちの祀神:手力雄神 を分祀していただきました。 貞観2年(860年)この地に鎮座 戦国乱世、長森が戦略上の要所とし 度々戦火に見舞われます。 手力雄神社鎮座地は木曽川渡河の要所で 信長父子は数次に亘って当所を攻めますが 湿地帯で大軍を使えず、都度断念。 墨俣で陽動作戦を行う一方、 鵜沼、前渡の川並衆を調略し ようやく美濃の攻略に成功しました。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに際し 当社を祈願所としていた織田氏が西軍についたため 徳川家康の襲撃を受け、神体など ごく一部を除き全焼しました。 元和年間(1615年~1624年)に本殿・拝殿などが再建 明治13年(1881年)幣殿・拝殿、再度造営 平成20年(2008年)現在の社殿が新築されました。
歴史あるこの火祭も今年は開催されませんでした。 友人もこの地でこの祭りを支える 一員として毎年参加しています。 この地域の人は、高校に入学すると 危険物の免許をを取得し神輿や仕掛け花火 の製作に携わるそうです。 氏子さんの苦労は一入でしょう。
この勇壮な祭りが後世に受け継がれて ...
Read moreIf you can make it here for the fire festival I would recommend, it was an incredible experience to be a part of and you could easily arrive at midday (when the stalls first set up) and stay all the way till the end, at around 9pm. It was free, well organised and all in all an...
Read more岐阜市蔵前に鎮座される「てぢから さま」 御祭神 「天手力雄命(あめの たぢからおの みこと)」
火祭りで知られている神社 毎年4月第2土曜日に開催 (ここ2年はコロナ禍の為中止、令和4年の開催も縮小して・・・感染対策とり密にならないように実施される予定だそうです)
始まりは不明だそうです。 明和年間(1764~1772)村の頭百姓と火打拓之丞(ひともし たくのじょう)とが争論(裁判)になったため、中断。 文化二年(1805)争論が収まり再開した。 と記録があるそうです。 鉄砲火薬とは関係なく、全国各地の農村では手作りの花火が行なわれてたそうですが、昭和三十年代には各地の花火が中断する中で手力雄神社の花火は珍しくなったそうです。 祭神事は『十三町内奉納の御幣行灯』『火祭の華...
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