霊場巡りで訪れました。武蔵野三十三観音はお坊様がその場で朱印をするよりも御朱印を差し替える寺が多く、賽銭を入れて、朱印代も所定の箱に入れて、保管箱から朱印されたものをいただくのですが、このお寺さんは朱印代を賽銭箱に入れるよう書いてあったので、朱印代を賽銭箱に入れたのですが、保管箱に朱印されたものも無く、寺には誰もおらず電話しても繋がらずで、結局朱印代だけ取られたという状況。遠方から来て、朱印代は払ったけど朱印がいただけず。このお寺は霊場巡りに入るべきではないと思いました。留守電と置き手紙を残しておいたので、連絡くることを祈るばかりです。
前回訪れてから一か月が経過して、高麗神社を参拝した帰りに勝音寺を訪れた。前回来たときに朱印が無く書置きを残しつつ、留守電にも返答して欲しいと残したが、返答は無く月日が流れたが、今日来たら朱印が賽銭箱の横の箱に沢山入れられていた。補充しに来た時に自分からの置手紙や留守電を聞いているはずなのに返答してくれなかったことになる。ホントに酷い寺だ。前回来た時に賽銭箱に朱印代を入れていったので、今日一枚頂いていくが、この寺は霊場巡りから早々に撤退すべき。寺側にも何か事情があるのかもしれないが、巡礼に来た人に対して...
Read more[風土記稿]には所蔵の千手観音菩薩 脇侍毘沙門は定朝作である と記されている。また 延文五年(1360年)に仏師周防法鏡明尊が再興した とも記されている。 台座裏の修理墨書銘(1733年)によれば再興したのは朝尊仏師である。とも。 [寺院明細帳]に下野国上佐野住人比丘昌旭が康安二年(1362年)より貞治三年(1364年)に写経した大般若経六百巻が納められた。
余談かもしれないが 平成中頃まで巾着田の整備に顕著な手腕を発揮され 惜しまれて亡くなられた関根文明氏がここの墓地に眠ります。鐘楼にも御名が掲げられております。志のございます方はドウゾ。
G* 所蔵の千手観音菩薩像の胎蔵物に四点の板があり それぞれに墨書が解明されております。天正九年1581年の胎内納入墨書札四枚で写真を掲載致しましたのでご覧ください。(「市中世史」より転載)
天正九年とはどの様な時代か? 織田信長が活躍して 秀吉も 羽柴と名乗る。足利尊氏の開いた室町幕府は滅び 翌 天正十年六月は明智光秀 本能寺に信長を討つ...
Read more武蔵野三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。 臨済宗建長寺派のお寺で栗原山勝音禅寺といい、霊場第二十七番札所になります。 御本尊は阿弥陀如来になります。 建長寺七十三世佛印大光禅師(応永二十四年:1417年寂)による開山になります、江戸幕府の時代の慶安年中に観音堂領として五石の御朱印状を拝領しています。 霊場御本尊は千手観世音菩薩(坐像)で定期の作と伝えられていて、脇侍に不動明王と毘沙門天を安置しています。 勝音寺は創建以来再三の火災にみまわれていて、現在の本堂は天保八年(18...
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