東と西に大輪神社がる。 古老の口碑(昭和21年)によると、両社とも昔から 鷲神社(おおとり神社)・八幡社を合祀していたという。
が、しかし 明治41年に「社寺明細帳の訂正願い」が両神社の社掌さんから出されていて、社寺明細帳の記述事項が違いますので、丙(鷲神社)丁(八幡社)のように訂正してください、と願いがあった。 社寺明細帳には、鷲神社・八幡社合殿の村社の2社ある様に書かれているが、実は 丙号(鷲神社)丁号(八幡社)の様に2社は各別の神社である。との訂正を求めたものだ。
しかし昭和21年の神社調書をみると、願いは聞き取られていないことが分かる。 実際にどっちが正解なのかはわからないが、なんとも腑に落ちない感じを受ける。
_____________
明治41年にだされた、「社寺明細帳御訂正願」からの “丙号“ 西大輪神社の内容をこのように訂正してくださいと、書かれた内容。
❷【参考 鷲宮町史史料5 1984年】
鷲神社(明治41年11月大輪社寺明細書上による)
[祭神] 大己貴命(おおなむちのみこと・出雲大社の神)
[由緒] 創立年月は不詳である。大和国三輪明神を勧請すと古老の口碑に存せり。 明治5年(1872年)6月 村社に列する
[鎮座地] 桜田村大字東大輪字下出 [社殿] 本殿・拝殿 [境内] 209坪 ______________
明治41年に 社寺明細帳の訂正願いというのが出されている。丙号(鷲神社)、丁号(八幡社)の訂正を要望している。
❸【参考 鷲宮町史史料5 1984年】
社寺明細帳御訂正願
鷲神社・八幡社
こんかい当村に於て社寺財産の取り調べの為に、社寺明細帳を検閲したところ、鷲神社・八幡社、両神社に関する事項にはあやまりがあります。 社寺明細帳の写しに、鷲神社・八幡社合殿の村社の2社ある如くに書かれていますが、実は 丙号、丁号の様に2社は各別の神社にして、各別に所有地があります。 丙号、丁号の様に社寺明細帳写を御訂正していただきますようにお願いします。
明治41年11月7日
両神社の社掌
とだいたいこのようなかんじである。 __________________
昭和21年10月神社調書である。訂正願いは受け入れてもらえなかった様子が見える。 訂正願いには各別の神社であるとあるのだが、ここでは2つの神社が1つの神社として扱われている。
何かしらの確固たる資料が存在しているのかもしれない。
❶【参考 鷲宮町史史料5 1984年】
大輪神社(昭和21年(1946年)10月神社調書上による)
[祭神] 大己貴命(おおなむちのみこと・国土開発の神) 誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)
[由緒] 鷲神社(おおとり神社)は大和国の三輪明神(みわみょうじん)を。八幡社は山城国の石清水八幡宮(いわしみず八幡宮)を勧請した、という。 西大輪、東大輪共に創立年月は不詳である。 古老の口碑によると、両社とも昔から 鷲神社(おおとり神社)・八幡社を合祀していたという。
明治5年(1872年)6月 村社に列する 明治42年7月29日 鷲神社(おおとり神社)・八幡社を今の 「大輪神社」 と改称した。 大正2年(1913年)4月7日 近郊の神社、八幡社(無格社・大字大輪字南前)合併した。
[鎮座地] 武蔵国北葛飾郡桜田村大字東大輪字下口・大字西大輪字水口 [社殿] 本殿・拝殿 [境内地面積] 657坪 [境内神社] _〇浅間社 _[祭神] 木花咲耶姫命(このはなさくやひめ・富士浅間社の神) _[由緒] 大正2年(1913年)4月7日 浅間社を境内神社として移転した。 _[参考移転前] 無格社 浅間社 桜田村大字東大輪字...
Read more河畔砂丘の上に建てられた神社ということで、ジョギングがてら訪問してみた。たしかに、この一角だけ周りより3mほど高くなっている。しかも、神社の境内は砂地であり砂丘であることが良くわかる。 ジョギングしていて思ったのだが、この砂丘に限らず、このあたりの...
Read more2023/12/19...
Read more