大我井神社(おおがいじんじゃ) 御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 配祀神 大己貴命 合祀神 倉稻魂命 誉田別命 天照皇大神 速玉男命 事解男命 天穗日命 石凝姥命 菅原道眞公
由緒 大我井神社は、人皇第十二代景行天皇の御代、日本武尊東征の折り、当地に軍糧豊作祈願に二柱の大神、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀った由緒深い社です。 古くは聖天宮と合祀され、地域の人々から深い信仰を受けてきました。
鎮座地は、利根川右岸に半島状に突き出た自然堤防上にあります。 周囲は低地で、太古、利根川が乱流した折に大海のようになり、水が引くと大きな沼が二つ残りました。 古代の人々は、上の沼を男沼、下の沼を女沼と呼び、これらの沼には水の霊が宿ると信じました。 このため、この二つの沼を望む自然堤防の突端に社を設け、季節ごとの祭祀を行いました。
この社とその周辺は、巨木が林立し昼なお暗い森を形成していました。 森は、現在の「大我井神社」と「聖天山」の境内地を合わせたほどの広さで、大我井の森と呼ばれる神域でした。 大我井の森は後に、古歌「紅葉ちる大我井の杜の夕たすき又目にかかる山の端もなし」(藤原光俊の歌・神社入口の碑)と詠われました。
奈良期、当地一帯に入植した渡来人は、この大我井の森に白髪神社を祀りました。 白髪神社は、「延喜式」神名帳に登載された、幡羅郡四座の内の一座と考えられています。
平安後期、利根川右岸は開発が進み、現在の妻沼町とその周辺部を含む長井荘が誕生しました。 長井荘の荘司である斎藤氏が、前九年の役(1051)で戦功のあった実遠からこの地を得て以後、実直・実盛と三代にわたり勢威を振るいました。 殊に実直の養子に入った斎藤則盛の子である実盛は信仰厚い武将で、治承三年(1179)に日ごろから守護神として身近に置いた大聖歓喜天を祀る聖天社を、大我井の森に建立しました。 実盛の生国である越前国は、早くから空海の巡錫により聖天信仰が及んでいて、幼少のころからこの影響を受けていたと考えられます。 以後聖天社は、長井荘司の信仰する氏神として荘民からも崇敬を受け、次第に長井荘の総鎮守として発展していきました。 この時期、白髪神社の信仰は既に衰退し、かろうじて社名のみ残す社となっていました。
その後、聖天社は幾多の変遷を経て、室町後期、成田郷を本貫とし、忍城主となった成田氏の保護を受けました。
天正十八年(1590)小田原の北条氏に与力した成田氏は、豊臣旗下の石田三成に攻撃され、居城である忍城は落城しました。 このため、聖天社は成田氏の保護から離れ、代わって関東に移封となった徳川氏の支配に組み込まれました。
慶応四年(1868)から全国諸社に神仏混淆を禁じるため、神仏分離令が布達されました。 明治元年(1868)十二月、聖天社境内のうち妻沼宿並びに往来の東側に、新たに、分離独立した伊弊諾命・伊弉冉命を祀る二柱神社を再興し、聖天社そのものは「聖天山」と改称して、以後寺院として歓喜院が運営することになりました。 聖天社から分離独立した二柱神社は、明治二年(1869)、社名を古代から神々の坐す大我井の森にちなみ、大我井神社と改称し、社殿が造営されました。
その後、明治四十年(1907)勅令により、村社の指定を受け妻沼村の総鎮守となり、大我井の杜と共に、地域の人々に護持され親しまれています。 なかでも、摂社となる冨士浅間神社の「火祭り」は県内でも数少ない祭りで、大我井神社の祭典とともに人々の家内安全や五穀豊穣を願う伝統行事として今日まで受け継がれています。 (「境内案内板」及び「埼玉の神社」参照)
「聖天宮」は、式内社「白髪神社」とも、あるいは式内社「楡山神社」ともされています。 式内社「白髪神社」の論社は他に、市内妻沼女体の「白髪神社」、市内東別府の「東別府神社」、深谷市東方の「熊野大神社」があります。 式内社「楡山神社」の論社は他に、深谷市原郷の「榆山神社」、市内久保島の「久...
Read more資料によると、 奈良時代に、当地一帯に入植した渡来人は、この大我井の杜に『延喜式』神名帳に登載された幡羅郡四座の内の一座である白髪神社を祀ったといい、大我井神社は、その白髪神社に比定される論社です。 平安時代に入ると開発が進み、現在の妻沼町とその周辺部を含む長井荘が開発、斎藤実盛は大我井の杜と呼ばれていた当地に治承3年(1179)妻沼聖天宮を勧請、その頃には、白髪神社は衰退していたようで、大我井の杜には伊弉諾・伊弉册の二柱が鎮座(妻沼聖天宮縁起)、妻沼聖天宮に二柱は合祀されました。 明治維新にあたり、妻沼聖天宮と分離、往来を挟んで東側に二柱を祀り再興、二柱神社と称したといいます。翌年鎮座地大我井の杜にちなんで、大我井神社と改めています。明治初期には、弥藤吾の扶桑教に属する一山講の講元・長谷美長行らが当社境内に浅間大神を勧請、明治40年村社に指定され、妻沼の総鎮守となっています。 とあります。
大我井の杜の由来は、西に男体様を拝し、東に女体様を拝した大きな沼地を控え、その付近の自然堤防上の高台に広大な平地林があったことにあります。周辺を芝川という川が舌状に囲み、高さは4~5mの台地となって要害の地形的様相を示していました。
大我井と言う言霊がまだ良く分かりませんが、解説はここまでの様です。 奈良時代にここに来た渡来人により祀られて白髭神社が起源である事は分かりました。 平安時代に『延喜式』神名帳に記載されていると言う事は、大和朝廷の信頼を得て、灌漑地水等の優位的技能知識を持って開墾に当た...
Read more聖天様より徒歩で3分・神社に到着、鉄砲百合が盛りです。鳥居に名入れ提灯を高々と吊し150㍍先の本殿まで紅白の提灯が連なる、参道を挟み社務所の前に模擬店や演芸舞台などを設置~中門前を過ぎ摂社、浅間神社の富士塚は、円形ー高さ10㍍を誇り〔火祭り〕の舞台に相応しい富士の山💮山を形どる仕掛け花火の確認作業が忙しい~ 富士を背平に15㍍ほどの幣付きの柱を支えるように、角材を組み上げた2本の大松明、雲行き怪しい風が大幣を揺らす~禰宜に付き添われた巫女達〔うら若き小学生〕5名が松明に点火の最終打ち合わせ…💮 神事・19時20分本殿に措いて、古代より伝授されている、〔弓 錐〕発火法で種火を熾し~神域の照明が消灯され~御神火は厳かに1歩1歩~山頂に向け歩みだす! 山頂に 一筋の灯りが点灯すると観客からどよめきが!💮 💮富士塚に祝詞奏上・ 笙の笛に伴い雅楽演奏!!仕掛け花火を点火~一瞬にして勇壮なる富士の姿は 将にシルエットロマンスである。御神火を託されたうら若き巫女は厳かに祭壇を1周半して2本の松明に火を濯ぐ! 火音を伴いかけ昇る火柱!燃え盛る🔥🔥火炎が真っ赤な富士を映しだす! どよめきの妻沼に大輪の花火🎆が炸裂! 毎年...
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