産業道路下りから、東急(昔の)池上線石川台駅方向に入って道幅の狭い商店街を進み、踏切渡って左カーブを行ったところ、谷の底あたりの左側に参道の階段があります。こんな都内(戦後しばらくまでは田舎だったところ)で起伏に富んだ台の上に鎮座しているのが、雪ケ谷の八幡様。ここの青年宮司さんはなかなかのやり手で、神社経営をタイムリーに、全方位・全年齢に向けて改革しているホープのような存在。不注意のバイアスの作用によく注意を払って、授与品の種類も多く多岐に揃えてあり、既成のキャラクターものに加えて、大田区のゆるキャラ「はねぴょん」も取り扱う一方、これは八幡様のそもそものご神徳をよく学んでいる証左でもあります。兼務社含めた神札や、神宮大麻もコンスタンスによく捌いており、お守りの発送は、もはや当たり前という崇敬者を誰一人として置き去りにしない姿勢は、もはや浄階特級を奏上してもいいくらいのはたらきと言えます。ついつい"峯村"の神社と比べてしまいそうですが、その調子で地道に神社カラーを地域に定着させ...
Read more社伝では、当社の創建は永禄年中(1558~1569)と誌され、北条左京太夫氏康の臣太田新六郎管内巡視の際、当所に於いて法華経曼荼羅(ほけきょうまんだら)の古碑を発掘し、その奇瑞(きずい)におり八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を創祀す。 爾来、元亀・天正戦乱の世を経て慶長・元和の頃、円長寺・長慶寺の創建により別当として二寺臨年に奉仕するところとなる。 旧中原街道沿道髄一の由緒深き神社として諸人の崇敬のもとに、文久3年2月社殿再建の業を起こし、明治3年11月拝殿造営、ついで明治23年再び工を起こし、明治28年11月25日本殿落成遷宮を行う。明治維新後の神仏分離により明治5年村社に列せられる。 昭和20年5月戦災に依り社殿焼失、昭和34年8月現社殿の造営なるとされております。 初めは、御朱印をいただける神社ということで参拝しましたが、大横綱大鵬の手形が刻まれている出世石が、境内に設置されていることを初めて知りました。 東急池上線石川...
Read more石川台駅近くにある神社です。商店街の散歩がてらに立ち寄りました。緑が多く静かで落ちつける良い神社でした。
石段で上に登っていくので足が悪かったりする人には少し大変かもしれません。寺社仏閣に参拝すると、いつも気持ちが浄化されます。いつでも神社やお寺を敬う心は持っていたいですね。
ちなみに石川台の駅前商店街と希望ヶ丘商店街はあまり元気がありませんでした。特に駅前商店街の方はシャッターを閉じてるところも多かったです。まあ規模が小さいので仕方ないのかもしれません。
希望ヶ丘商店街の方は結構長いのですが、やはりこちらもそれほど賑わっている感じではなかったです。アド街で見た時はもっと活気ある感じだったのですが...
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