It's truly a unique place. It's a memorial sight for the Byakkotai (White Tiger Brigade)--a group of young warriors who fought in the Boshin War and committed suicide when they thought the castle had been taken. Theirs is a story of both honor and tragedy. And visitors should look it up before they go to understand the full import of the sight. (Also--there's a statue donated by WWII-era Italy which is also an interesting story). Like I said,...
Read more鶴ヶ城を歩いて回ったあと、飯盛山に向かい、白虎隊が自刃した地へ。そこに立つだけで胸が締め付けられるような感情がこみ上げてきました。その山腹にある記念館は、外観は少し古びていて、館内もどこか手作り感が漂っていますが、展示されているものの数と重みは圧倒的でした。白虎隊だけでなく、会津藩や戊辰戦争にまつわる12,000点もの資料が収蔵され、その一部が展示されています。銃や弾丸、装束、書簡や遺影など、ひとつひとつに物語が宿っていて、ただ「悲劇の少年たち」という言葉では片付けられない、複雑で深い歴史を伝えてくれます。
印象的だったのは、展示が白虎隊に限らず、壯年の兵や女性隊についても触れていたこと。会津を守るために戦った人々は少年たちだけではなく、老若男女問わず、多くの命が犠牲になったことを知り、歴史の広がりを実感しました。会津戦争がいかに過酷で残忍な戦いだったのか、そしてその怨恨がその後も長く語り継がれてきた背景も、ここに来てようやく腑に落ちたように思います。
二階では少しレトロな映像やアニメが上映されていて、小さな子どもたちにも分かりやすく会津の歴史が紹介されています。修学旅行の学生たちが真剣に見入っている姿を見て、日本の歴史がこうして世代を超えて語り継がれているのだと胸が熱くなりました。展示室内は撮影禁止ですが、その分ひとつひとつを目に焼き付けようと自然に集中できます。
入館料は大人400円と良心的で、飯盛山のふもとには無料の駐車場もあり、アクセスもしやすい場所です。エアコンも効いていて、暑い日でもゆっくり見学できますし、スタッフの方もとても親切でした。展示方法は昭和の資料館のように、ワープロ文字を額に入れて説明を添える形が多く、最新の博物館のような洗練さはありませんが、かえってその素朴さが、地域の人々の「歴史を伝えたい」という真摯な気持ちを強く感じさせてくれます。
館内を歩きながら何度も胸が詰まりました。30年越しでここを訪れたという方の気持ちが分かりますし、修学旅行で初めて訪れた学生が「号泣した」と書いていた感想にも深くうなずけます。会津武士の魂を感じ、ただ観光するというより、心で向き合う体験でした。会津に来たなら鶴ヶ城と並んで必ず訪れるべき場所だと、私自身も強く思います。
東京からは少し遠いですが、この場所で感じた静かな重みは、旅の目的地として十分すぎる価値がありました。会津の地を歩き、白虎隊記念館を訪れることで、歴史がただの教科書の一部ではなく「生きた物語」として迫ってくるのです。心から...
Read more戊辰戦争時の会津藩の史料や白虎隊の史料が見学できます。
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
若年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、白虎隊は各防衛拠点へと投入された。
しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たったが、二番隊は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて潰走し、そこで数名の戦死者が出ている。 8月23日に負傷者を抱えながら残りの合計7人が郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間、庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。この時、深刻な負傷によりこれ以上はもはや戦えないと悟り結果7名が自刃を決行し、6名が死亡、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留めた。 一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、武士の本分を明らかにするために飯盛山...
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