訪問日2024.2.28.
通称「八橋の山王さん」
外町総鎮守 外町町人御守護
由来は元亨2年(1322年) 新城館主が新城笹岡に 「山王宮・八幡宮」を勧ふ請した のが始まりと伝わる
古伝承によれば それ以前に安部宗任が日吉山王と石清水八幡を勧請して笹岡に 修験時日吉山延命寺無量寺院を 建立したのがその前身といわれている
応永2年(1395年) 安部沙弥安宗により 上新城五十丁に遷宮される
14世紀 安東氏(本姓:安部氏)は 「山王」を宗教的支援基盤と していたことから、安東氏と 深い関係が伺える
天正17年(1589年) 安東実季により飯島に遷宮
同年、桧山の安東実季が土崎湊の安東道季を滅ぼし同社を 守護神として飯島に遷宮する 文禄3年(1594年) 実季が上洛する際の起請文の 中に当郡鎮守のひとつとして 「山王八幡」が記録にある
元和元年(1615年) 秋田藩滋大藩主 佐竹義宣により 八橋狐森に遷宮
佐竹義宣が慶長2年(1602年) 土崎湊城に入りまもなく 山王八幡両社へ参拝 修造していることから 安東氏の治世を引き継ぎ 佐竹氏が山王八幡神社を庇護 したことが伺える
佐竹義宣は慶長9年(1604年) 土崎湊城から久保田城に移り 久保田城下の安寧と発展を祈念して山王八幡社を八橋狐森に 遷宮する
また佐竹義宣は久保田城内に 大・小八幡を勧請すると共に 以前から秋田に存在していた 神社12社の神々も祀るが 山王八幡社もそのひとつで あった
寛永19年(1642年) 雄物川の氾濫により社殿が大破 現在地を社地と定め再建開始
寛文2年(1662年) 現在地に遷宮
明和7年(1770年) 大火により類焼し拝殿・本殿を 焼失する
安永7年(1778年) 拝殿再建
寛政9年(1797年) 本殿再建 日吉八幡神社は藩政期 「山王八幡社」「山王堂」 「山王宮八幡宮」などと称され 佐竹氏に厚く祀られるとともに 外町総鎮守として町人に 「八橋の山王さん」として 広く信仰を集めた
明治30年(1897年) 山王・八幡両社が合祀され 日吉八幡神社と改められる
明治時代に入り政府の政策により神仏分離令が発令され 神道と仏教の区別の明確化を 余儀なくされ、それまで 神仏習合という考えが一掃 「山王」という仏教に根ざす 表現が神社で使えなくなり まな神社合祀の流れもあり 現在の日吉八幡神社と改められる
【秋田県指定有形文化財4棟】 ①本殿 ②拝殿 ③舞殿 ④隋神門
【秋田県指定有形文化財12基】 ・三重塔 ・神橋 ・青銅鳥居 ・常夜灯 2基 ・浮橋 ・御神灯...
Read more20220903男鹿半島なまはげ弾丸ツアーに行って来ました! 今日の青森県は晴れ間が出てますが、秋田県は曇天予報ですがホテルで朝食を食べずに6:00に出発しました! 雨上がりに真山神社で参拝し、男鹿なまはげ館で土産を買って、脇本城跡を見学し、秋田県護國神社で参拝し、次は「日吉八幡神社」を目指します! 秋田県護國神社駐車場から走ること約10分で、少々分かり辛い日吉八幡神社駐車場に無事到着しました! 旧国道の「一里塚」をすぎて面影橋にいく中間、八橋運動公園の北に鎮座しています! 八橋の山王さん...
Read more秋田県秋田市に鎮座、日吉八幡神社に参拝に行きましたが、どの様な神社か解らないまま参拝しましたので、引用を用いて調べて見ました、平安時代後期、源義家に滅ぼされた安倍頼時の子、宗任が比叡山で修験者となり、晩年近江の日吉山と岩清水八幡を勧請して、外旭川の笹岡に修験寺日吉山延命寺無量寺院を建立したのに始まると伝えられ、元享2年新城館主が、同地に日吉山八幡宮を造営、応永2年沙弥安宗が、現上新城中学校の地に同社を移し、天正17年桧山の安東実季が、土崎湊の安東道季を滅ぼしたとき、同社を守護神として飯島に遷座、新たに秋田6郡領主となった佐竹義宣も同社を崇敬し、元和元年八柳狐森に遷宮、寛永2年社殿を造営するも、同19年春、雄物川の氾濫で社殿の大半を流失し、やむなく同年中に現在の地を社地と定め、再建し寛文2年遷座した、現在の社殿は、明和6年、久保田町大火のおり類焼し、その後再興され、拝殿は安永7年に、本殿は寛永9年に建立されたものであり、佐竹氏入国以後、久保田の外町の総鎮守として今日に至るそうです、 ご祭神は、 大山咋神...
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