この付近は、かつては眼下に海が広がり、潮のかおりが漂う緑の松林にかこまれた格好のリゾート地であった。 この稲毛別荘は、初代神谷伝兵衛(1856- 1922) が大正6年(1917) 建設に着手し、翌...
Read more今から60年以上前中学生だった頃に、近くに幽霊屋敷の洋館があるとのことで、クラスメイトと3人で探検に行きました。それほど大きな建物ではありませんが立派な作りで、本格的な石造りの洋館を見たのは初めてでした。元は手入れの行き届いたであろう庭は背丈ほどもある雑草が生い茂っていました。フェンスが朽ちていたので庭に立ち入り、雑草をかき分けて玄関に辿り着くとドアが半開きになっていて風で揺れていました。 恐る恐る一人ずつ屋内に侵入して中を探検して戻って来るという肝試しをしました。館内はかび臭く照明器具には蜘蛛の巣があって、確かに不気味でしたが、初めて見た今では当たり前の腰掛式便器や猫足のバスタブ等、まるでヨーロッパの屋敷に足を踏み入れたようでした。その頃は既に利用されなくなって放置されていた期間だったようです。忘れられない思い出でした。
最近になってこの建物は、茨城県牛久市にある日本初の本格的ワイン造りをしたことで有名なシャトーカミヤの創業者である神谷伝兵衛の別荘として大正7年に建てたられたことを千葉市のホームページで知りました。私が中学生だった頃は、未だ海岸沿いの千葉街道に面していましたが、今では埋め立てられ海は遥か遠くになってしまいました。建物が出来たころは海辺の松林があった所だったので、海の別荘として隣には和風の家が作られ、この洋館はゲストハウス...
Read more浅草の神谷バーやワインの牛久シャトーを経営した実業家の神谷伝兵衛の別荘。洋館であるが2階は和室であり、1階の洋間から上がると素晴らしい和のしつらえが現れ、そのオーソドックスでありながらも端々に窺える行き届いた美と和の粋に満ちた、そして豊かな色相いが愛おしい空間造形には驚嘆である。品格と遊びのある床の間やその天井のさらに遊びのある、意外なしつらえ。そしてとぼけた味わいながら温雅な木瓜窓など、まるで和のアールヌーヴォーかと見ていて飽きることがない。この主人は何より粋を好んだようで、付け書院の欄間にある葡萄の透かし彫りは必見である。正面から見ると単なる彫刻であるが、斜めから見るとなんと葡萄が青く光って浮き上がって見える。光加減による錯覚であろうが、主人も天国からこんな客人を見て、してやったりと微笑んでいそうであるし、こちらもこんな和の粋な技には完全に脱帽である。この邸にはもう1つ、あっと驚くしつらえがあるがそれは是非こちらを訪問して、気さくな管理人さんに実演してもらってみるといいかも。
近くには清朝末帝溥儀の弟の溥傑が妻の嵯峨浩さんと新婚生活を送った旧武見家住宅があり、そこも回ると良いかも。その縁としか思えないが、こちらにも溥儀の妹の子供たちが一時期住んでいたとのことで、広間の机で卓球をしたり、階段の手すりを滑り台にして遊んだり...
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