楠の大樹に囲まれた神池の景色にはその美しさに声もない。とはいえ、とある高名な庭園史家によるとこの心字池の先の楼門と本殿の間の中庭に、往時は道真公の好みを表していたに違いない紅梅の植えられた曲水の遣水があり、古絵図でもそれを確認できるが、現在は整理されて石橋がかかり、暗渠となってしまったことを残念がっている。さらにこの心字池というのは室町期に連歌師の宗祇がここを訪問して「心字池」と表現しており、この神池の築造年代に近い、その数百年前に訪問した延暦寺の僧侶は心字池とは言っていないので、その他の例もあわせ「このように心字池というのは池の形から来たのではなく、社寺の園池に対する禅僧の感じ方から来ていて、江戸時代ごろから広く使用され始めた用語と見るのが正しい」と手厳しい。
宗祇の『筑紫道記』によると太宰府天満宮の項には「池の廻りには千万株の梅の林を成せり。覚えず西湖の境に来るやと覚ゆ」(文明12年[1480年]...
Read moreThis pond looks beautiful. It's in the shape of the heart kanji. If you're going to the shrine you can't miss it, and I don't think you would want to miss it. Just stop by under the shade of the trees and enjoy yourself in the...
Read more心字池は、その名の通り「心」という文字をかたどった池で、日本庭園の中でも特に情緒深く、静寂の中に凛とした美しさをたたえている場所でした。水面に映る空や木々の緑、時折通り過ぎる風が波紋を描く様子は、まるで一枚の水墨画のようで、見ているだけで心が穏やかになっていくのを感じました。
池の形が“心”の字を模しているというのも趣深く、ただ眺めるだけでなく、どこか内省的な気持ちになれるのが印象的です。池のほとりを歩きながら、自然と自分の心と向き合っているような、不思議な感覚に包まれました。
周囲には四季折々の木々が配されていて、私が訪れたときは新緑がきらきらと水面に映り込み、生命力にあふれる景色が広がっていました。紅葉の時期や雪の季節にはまた違った趣が楽しめるのだろうなと、再訪の楽しみも感じられる場所です。
鯉がゆったりと泳ぐ姿や、遠くから聞こえる鳥のさえずり、小さな橋を渡るときの足音すらも心地よく、日常から切り離されたような穏やかな時間が流れていました。観光地にありながら、騒がしさとは無縁の空間で、自然と心が整っていくような、そんな不思議な力がある池です。
「心字池」は、華やかな観光名所ではないかもしれませんが、だからこそ出会える“静かな感動”が詰まっています。目に見える美しさだけでなく、訪れた人の心にもそっと寄り添ってくれるような、...
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