説明書より ーーー 円妙山 大慶寺の由来
日蓮聖人京都遊学往復お立ち寄りの霊跡
今を去る七百五十有余年前、鎌倉時代の、建長五年初春(一三五三)に日蓮聖人が当地に立ち寄り、街道で茶店を営んでいた夫婦を説法教化されました。夫婦は、法華経への信心を誓い、その記念として日蓮聖人は毘沙門天王像を授けられ、一本の松をお手植えになりました。 この松が「久遠の松」です。 夫婦は日蓮聖人より道円、妙円の法号を授けられ、その後法華堂を建立し、当山の基を築きました。 夫婦の墓は「久遠の松」の前の白い宝塔下部にあります。 昭和年間に、立正大学の鑑定を受け、鎌倉時代の墓であることが確認されています。 円妙山の山号は、道円、妙円の法号より取り、法華経流布の大慶にちなんで寺号を大慶寺としました。現本堂は、間口、奥行十間の(約十八m)で、昭和二年に完成しました。
久遠の松(県指定・天然記念物)
日蓮聖人お手植えの松で、樹齢七百五十有余年の黒松です。現在でも成長を続けており、目通し五·ニm、高さが二十七m、枝娠りは東西、南北それぞれ三十mです。(平成二十八年現在) 近年、松食い虫の被害で、全国の名松が枯れています。その中で、久遠の松は、高さがあり、枝娠りのよいバランスのとれた大松として、全国で一、二と言われています。
相良城御殿(田沼意次公城主)の一部を移築
当山の客殿は、天明八年 (一七八八年)に、相良城の一部を移築したものです。 移築後、 修理を重ねていますが、大黒柱、梁、柱等は当時のものです。客殿の柱は栂材で、国宝の松本城と同じものです。客殿奥の床の間の部屋は、往時、田沼意次が接見した間です。
田中城祈願寺
当山は江戸時代、田中城主姫君の病気平癒の功により、田中城祈願寺となり、門横の墓地には、城主太田撮津守、田中藩姫君、家老高瀬家、重富家等の墓があります。また、江戸時代、藤枝の文人と言われた大塚亀石、荷渓、翠崖、田中藩漢学者石井縄斎...
Read more日蓮聖人お手植えとされる「久遠の松」は樹齢七七〇年、松としては日本一の古木でありながら樹勢はますます盛ん、葉は青々としていて枝ぶりも見事です。人に例えるなら一一〇歳を過ぎてなお筋骨隆々の偉丈夫と言ったところでしょうか。...
Read more静岡県藤枝市の旧宿場町中心街の街道沿いに建立された『圓妙山大慶寺』と云う日蓮宗寺院で境内の『久遠の松』は静岡県指定の天然記念物との事です 寺伝に依れば若き蓮長(後の日蓮)は鎌倉時代の建長年間に比叡山延暦寺の遊学の帰り藤枝で夫婦が営む茶屋に立ち寄り説法をして夫婦は法華経を信じ自宅裏に法華堂を建立したのがお寺の起源の様です。 日蓮聖人はこの地で未来永久に仏道が栄える事を祈願して黒松をお手植えしたのが『久遠の松』で根回りが7mで樹高25mで四方に枝を伸ばして居る『日本の名松百選』にされているとか! 高い建物が無い古の藤枝宿では久遠の松はら良き目標だったかも知れませんね! 参拝後御首題をお願いしたら住職不在なのか書置きの御朱印を薦められ拝受致しまし...
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